アルペンスキーの皆川賢太郎(チームアルビレックス新潟)が昨季、ソルトレークシティー五輪後の左ひざじん帯断裂から復活を果たした。ワールドカップ(W杯)回転総合21位に入り、01〜02年シーズンの18位に次ぐ好成績を残した。過去2度の五輪で結果を出せなかった28歳。出場を目指す来年のトリノでの雪辱を誓う。【武藤佳正】
−−左ひざの具合は。
2年間は思うように練習できなかったが、はれがなくなり体が使いやすくなった。夏から強度のウエートトレーニングを始めた。五輪にはパワーアップして臨みたい。けがをするまでは順調にトップにいけると思っていたが、W杯に出場しても結果を残せない。「ただスタートをするだけの選手」になったのがつらかった。一番考えたことはあきらめず続けること。ここからが問題。
−−2年前のシーズンは。
2日間滑ると、2日間はれが戻らない。ホテルの階段を下りられるかどうか。ひざが悪いとぐらぐらする。その日の朝に滑るかどうかを決める。ストレスが続いた。海外にスキーに行っているのに無駄にして毎日焦りみたいなものがあった。
−−昨季の滑りは。
常に前向きに練習できてある程度結果が出た。毎日乗って練習すれば戻れる。昔のひざに比べれば1日休めば疲れが取れてうまくマネジメントできるようになった。あとはどうテクニックを上げていくか。12月ぐらいからはどう攻めようか戦略まで考えられるようになった。
−−4季ぶりの1けた順位を記録した。
それよりファイナルに進めたことに、大きな意味があった。ソルトレークシティー五輪が終わってからトップ7、15に戻してトリノを迎えたい気持ちがあった。けがで戻れないかとも思ったが、21位まで上げたことが重要。五輪までに一気に勝負をかけていきたい。
−−トリノのコースの印象は。
W杯のなかでは難しいコースではない。ルールが変わりポール間が狭くなる。体力的な勝負になる。簡単なので差が開かなくなる。持っている能力で勝負する。
−−後輩の五輪代表内定選手、佐々木明(ガーラ湯沢)の活躍は。
最初はストレスだった。自分がずっとトップにいたのでね。うらやましい、後輩に何で負けちゃうんだろと。それまで日本人を意識はしたことはなかったが。でも、今は2人とももっと上がっていかなければならないと思う。
−−過去2度の五輪は途中棄権と1回目失格だった。
長野の時は子ども。レース勘が浅かった。メダルを取りたい、勝ちたいとソルトレークシティーから思い始めたが、五輪前に右足首を痛めていい思い出がない。ぜひ次はけがなく五輪を迎えたい。
−−持ち味は。
ターンの速さ。いいものを完ぺきにしてバランスよく世界のトップに近づけるようにしたい。持ってるものを、しっかり作り上げたい。ばくちはあまり好きじゃない。完全に勝ちたい。
◇皆川賢太郎(みながわ・けんたろう) 新潟県湯沢町出身。五輪は98年長野が回転、大回転ともに途中棄権、02年ソルトレークシティーが回転で1回目失格。W杯は過去6位入賞3度、05年3月のスロベニア・クラニスカゴラ大会で7位。173センチ、80キロ。
毎日新聞 2005年9月14日 10時10分 (最終更新時間 9月14日 10時36分)
もうトリノですか…
前回のソルトレイクでは、キリがオーストリア国旗のバンダナでSL滑ってたのが忘れられません。
あと、アラン・バクスターがスコットランド国旗柄にアタマを染めてたら怒られた挙句、鼻炎薬にダメな成分が入ってたから銅メダル剥奪とか。
もう4年ですか〜…