次生様の記事を読んで、しみじみとしてしまいました。
「FNで頑張って、F1でも結果を残したい。日本のモータースポーツもやるじゃんと思わせたい。日本のプロ野球選手がメジャーできちんと結果を出しているようにね」とか、「日本の野球選手で、お金を払ってメジャーにいく選手がいますか。実力もそれほどないのに、レギュラーになれる選手がいますか。やっぱり今のモータースポーツは改善しなければいけないことがいっぱいある」って言ってくれるのはなんか、ファンとしても目が覚める思いというか。
特に後者の発言は…なんつーかな。お金があるからF1でもどこでも、シートが取れる…というか、お金がなければ何にも乗れない、ということを(見てる側ですけど)受け入れてしまうのが当然という自分に喝!ってカンジです。
そうだよね、モータースポーツは、速くてなんぼなのが当然なんだよね。
…新しい気持ちで新年を迎えられそうです。
ツギヲ様、ありがとう。
…でもあなたがアウトラップ遅くて1ポイント差でラルフィーが(あえてこう言う)GTのタイトル逃したことがあったのは忘れない(悪)。
<中スポ コンフィデンシャル> 松田、F・ニッポン念願チャンプ 山崎武が心の支えに
2007年12月27日 紙面から
意外な人間との交流が支えとなって、一人のチャンピオンが誕生した。国内フォーミュラレースの最高峰、フォーミュラ・ニッポン(FN)で念願の王者となった松田次生(28)=IMPUL=は、実はプロ野球・楽天の主砲、山崎武司内野手(39)と6年来の親交があり、同じプロの世界に生きる者として心の師とも仰ぐほどの間柄。山崎から教えられた「思い続けることの大切さ」が、松田を次の夢へと駆り立てる。 (青山卓司)
レースから数日後、1本の電話がかかってきた。「よくやった。本当におめでとう。頑張ったな」。電話の主は今季のパ・リーグで本塁打と打点の2冠に輝いた楽天の主砲・山崎。祝福の声を聞いて、あらためて松田の胸に喜びがこみ上げてきた。
11月18日、鈴鹿。フォーミュラ・ニッポン最終戦で、ドラマは起きた。トップチェッカーを受けた小暮のマシンが、規定違反で失格処分となり、本山哲の繰り上げ優勝、5位だった松田も4位に繰り上がり、同僚のトレルイエを逆転し、初のシリーズチャンピオンを獲得したのだ。
松田は全9戦で優勝を一度もすることなくシリーズ王者に輝いた。裏返せば、どんな不利な状況になっても、絶対にあきらめない粘りが、松田に悲願をもたらしたのだ。
「中盤から後半にかけては本当に苦しかった。NAKAJIMAの車の戦闘能力がどんどん上がってきて、小暮くんの追い上げが厳しくて、どうなっちゃうんだろうって思ってたから。でも、絶対にあきらめない。その思いだけで走り続けました」と、松田は今季を振り返った。
松田には夢がある。いずれは世界に出たい。F1でシートを獲り、最高峰のレースで自分の力を試してみたい。そのためにも、国内タイトルは獲りたかった。もちろん、FNの王者になったからと言って、簡単にF1にステップアップできるものではないし、逆に運とタイミング、あるいは莫大(ばくだい)な“持参金”があれば、タイトルを持っていなくても、F1に乗ることができる。
「自分にとってFNのタイトルを獲るってことは、F1に行くための最低条件だと思ってます。国内でタイトルを獲れない実力しかないのなら、(F1に)行く意味はない。自分の力はあるんだと主張する意味でも、このタイトルだけは欲しかった」
今季、松田は第1戦2位、第2戦2位と順調にポイントを獲得していったが、そこから少しずつ順位が落ちていく。そして第6戦の富士スピードウェイでは13位にまで落ち、ついに無得点に終わった。
「いいか、絶対に獲るんだと思わない人間にはタイトルは獲れない。どんなことがあっても、勝つ、そう思え」。宮城県の菅生で行われた第7戦で仙台を訪れた時、松田はかねて親交のあった山崎に連絡を取り、食事を共にした。その時、山崎から強い口調でそう言われたという。「おまえも頑張れ、オレも頑張るから」とも。
松田と山崎は、山崎が中日時代からの付き合い。車が大好きな山崎にカートの手ほどきをしたのが交流のきっかけ。今では山崎を兄のように慕っている。
もがき苦しんでいる時だっただけに、この言葉は薬のように、松田の心にしみていった。
「最後の最後にああいうことがあって、優勝できたのも、あきらめずに走った努力を運命の神様が見ててくれたということかな。山崎さんも2冠を獲ったし、最高のシーズンです」と、松田は話す。
来季、松田はもう一度フォーミュラ・ニッポンを走る。今季のように1勝もすることなく総合優勝するのではなく、圧倒的な強さを見せつけて、連覇を果たす覚悟だ。
「FNで頑張って、F1でも結果を残したい。日本のモータースポーツもやるじゃんと思わせたい。日本のプロ野球選手がメジャーできちんと結果を出しているようにね」。松田は柔和な笑みを見せる。28歳、ドライバーとして円熟の年齢にさしかかっている。地道に力を蓄えてきた実力派ドライバーが、いよいよ勝負の時を迎えている。
◆「メジャーにしたい」ハートの熱い男
とてもソフトな外見からは想像できないほど、ハートの熱い男。それが松田次生だ。
「モータースポーツを日本でもっとメジャーにしたい。人気競技にしたい。そのためにも、ぼくらレーサーがもっと実力をつけて、世界に出ていかないといけないんです」。会うたびに、熱っぽく、そんなことを話してくれる。
モータースポーツをもっとメジャーに-。それを強く意識するようになったきっかけが、実は山崎武司をはじめ、異業種のアスリートと深く親交するようになってからだという。
「日本の野球選手で、お金を払ってメジャーにいく選手がいますか。実力もそれほどないのに、レギュラーになれる選手がいますか。やっぱり今のモータースポーツは改善しなければいけないことがいっぱいある」とはっきり言う。
バブルのころ、湯水のように使えた経費も、今では当時の3分の1ほどになってしまった。スポンサー離れは、さらに加速している。松田が抱く危機意識こそが、モータースポーツ人気復活のカギになりそうな気がする。 (モータースポーツ担当デスク・青山卓司)
◆楽天・山崎武「本当にかわいい後輩」
「次生、おめでとう。次生とは中日時代からだから、もう6年以上の付き合いになる。努力してチャンピオンになったことは誰よりも知っているつもり。仙台に来た時は、よく一緒にメシも食べたし。今では本当にかわいい後輩という感じです。また、連絡ください。本当におめでとう」
【松田次生(まつだ・つぎお)】 1979(昭和54)年6月18日、三重県桑名市生まれの28歳。桑名・陽和中時代は陸上部に所属し、短距離を専門にしていた。カートを始めたのは中3から。弥富高入学と同時に本格的にカートの活動を始める。高校卒業後の19歳で全日本F3にスポット参戦でデビュー。2000年からフォーミュラ・ニッポンに本格参戦。IMPULには2006年から所属。SRS-F(鈴鹿レーシングスクール フォーミュラ)時代の同期にF1で活躍する佐藤琢磨(スーパーアグリ)がいる。174センチ、69キロ。趣味はラジコン、ゴルフ。