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映画「インディレース 爆走」を見てきました

もうだいぶ古い話になりますが、2021年の6月13日(と18日)に、シネマヴェーラで「インディレース 爆走」を見てきました
Twitterでそらまめ氏が見つけてくださった映画ですね。
昔のモータースポーツ映像が大画面で見られるなんてなかなかないぞ、とワクワクしていました。
レース自体とかの真面目な検証は他の方におまかせするとして、2回見た後での感想と、気になったところを以下につらつらと。

当時、1966年10月8~9日のレースの映画が1967年2月4日に公開されたということで、なかなかのスピード感だったのではないでしょうか。
(当時、興行的にはコケたらしいんですか?残念なことで…)
導入は「原宿族」というまあ当時の自動車好きなパリピの紹介から入って、どういう風にレースを紹介するのかな~と思ったら、まあレースパートはごくごく普通に進んでいきました。
彼らは何が関係あるのかなと思っていたら、最後に「プロのレースドライバーと、趣味で自動車に乗っている人の違い」というところで絡んできたよ。
20歳のジミーさん(日本人)はまだご健在でいるのでしょうか。ジミーさん、ちょっとプリンスっぽいルックスでした。(要するにパーマと口ひげ)
プエルトリコ人のようだと言われていたけど、なんか自分の中のプエルトリコ人の印象とはちょっと違いました。今の私が考えているのは野球選手だからな…。

このレース、普段と逆回り(=左回り)で開催されていたのは知ってはいましたが、アメリカから来たインディ勢が左回り用マシンだったからそれに配慮したのかな…ということに今さら思い当たりました。細かい情報持って見にいけばもうちょっと違っただろうなあ!
しかし色々勉強になりました。映画見た後に「日本の名レース100選」のこのレースの号をぽちりました…。

この映画、ちゃんとヨーロッパ勢のマシンとアメリカ勢のマシンを止めた画像で違いを説明してくれたりしていて親切でした。
空撮もあったし、27号車だったっけ?にはオンボードカメラも乗っていた!
逆周り、海外から来たドライバーはともかく日本のマーシャルさんは大変だっただろうなあ…。

そういえばこのマシン解説の時には「富士は給油しないで走れるはず」とか言ってましたが、レース中には普通に給油してました。軽くして走ってセーフティカー出たときに給油に入るストラテジーだったのか、それとも「理論上」だったのか…?後者かな…。
あとシートベルト、ロールバーなどの安全装置はアメリカが先端、と言ってました。オーバルの方がやっぱ危なかったからかな…。日本で走っているロードカーにもシートベルトとかついてなさそうでしたね。

ドライバーの来日光景の映像とかも入っていたんですけれども、グレアム・ヒルがキラッキラで!キラッキラで!「髭の生やし方まで自信満々のグレアム・ヒル」って言われてたのですが、いやかっこよかったわ…。
もう一言で言うと「ムービースター」って感じでした。あんな人今いたら追っかけちゃいそうだわ…。
Wikipedia『当時のF1ドライバーの中にあって`50年代のハリウッドスター的風貌は、渋い二枚目としてモータースポーツにさして興味のない人達からも人気を博し、ドライバー本人が広告塔としてメディアに取り上げられた最初の例となった。ヒル以降、F1ドライバーもサッカーなどの他のプロスポーツ選手の様にスターとしての知名度が上がってゆくことになる。
グランプリドライバー本人が多数出演する映画『グラン・プリ』でも、他のドライバー達がパドックでうろつく姿やマシンに乗りこむカットのみが使われた中、写真写りがよく既にメディアでも取り上げられていたヒルのみ台詞付きで登場する。』

ってあるのも納得です。いやあカッコよかった。
ちょいちょいアップで映ってウィンクしてたりしたんですけど(レース前のシーンではさすがにありませんでしたが記者会見とかで計3回確認)、あれ家でストリーミングで見てたりしたら「きゃあ~~~!!!!!」って黄色い声をあげていたと思います。
あと、映っていた私服が、ヒルがジャケット、スチュワートがニット、ジム・クラークがブルゾンっていうかんじで、なんかそれぞれ個性が見えた気がしました。

あとクリス・エイモン、ニュージーランド人だよな~って思いながら見ていたらなんかバンバー様に見えてきました。鼻のあたりとか。ニュージーランドっぽい顔なんでしょうか。
(それを言うとジャッキー・スチュワートは顔ちょっと長くて、あのスコットランドアクセントもあるので余計にピーターっぽく見える)

で、いつものごとくエントリーリスト。

1. #1 Mario Andretti (USA) Dean Van Lines Spl. Lola Ford
2. #5 Bobby Unser (USA) Weinberger Homes Spl. Eagle Ford
3. #7 Larry Dickson (USA) Vita Fresh Orange Juice Spl. Gerhardt Ford
4. #11 Ronnie Duman (USA) Vita Fresh Orange Juice Spl. Huffaker Offy
5. #19 Jim Clark (GB) STP Spl. Lotus Ford
6. #22 Bud Tingelstad (USA) Federal Engineering Spl. Gerhardt Offy
7. #24 Al Unser (USA) American Red Ball Spl. Lola Ford
8. #26 Graham Hill (GB) Lucy Spl. Lola Offy
9. #27 Billy Foster (CDN) Jim Robbins Spl. Vollstedt Offy
10. #28 Bob Harkey (USA) Blum Spl. Blum Offy
11. #29 Lloyd Ruby (USA) Bardahl Spl. Lotus Ford
12. #34 Sam Sessions (USA) Michner Petroleum Spl. Lola Ford
13. #35 Al Miller (USA) Caves Buick Spl. Gerhardt Offy
14. #36 Bob Hurt (USA) Gerhardt Offy
15. #37 Arnie Knepper (USA) DVS Spl. Cecil Ford
16. #39 Bobby Grim (USA) Racing Associates Spl. Watson Offy
17. #41 Jim McElreath (USA) Prestone Spl. BRP Ford
18. #42 John Hollansworth (USA) Hollansworth Spl. Epperly Offy
19. #43 Jackie Stewart (GB) Bowes Seal Fast Spl. Lola Ford
20. #53 Gary Congdon (USA) Valvoline Spl. Huffaker Offy
21. #54 Wally Dallenbach (USA) Vatis Spl. Huffaker Offy
22. #56 Jim Hurtubise (USA) Jim Robbins Spl. Vollstedt Ford
23. #66 Cale Yarborough (USA) Gerhardt Offy
24. #72 Gordon Johncock (USA) Weinberger Homes Spl. Gerhardt Ford
25. #74 Chuck Hulse (USA) Blum Spl. Blum Offy
26. #76 Art Pollard (USA) Gerhardt Drake
27. #77 Carl Williams (USA) Prestone Spl. BRP Ford
28. #81 TBN (TBN)
29. #93 Jerry Grant (USA) Harrison Spl. Eisert Chevrolet
30. #94 Gordon Snyder (USA) Gerhardt Offy
31. #96 Greg Weld (USA) Eisert Ford
32. #97 Dick Atkins (USA) Agajanian REV 500 Spl Shrike Offy


事前のエントリーから当日まではちょっと変更があったみたいです。クリス・エイモンとかいなかったもんね。
しかし今でも32台が海外から来るレースってすごいなーと思います。

さて映画。
富士の風景とかもちょいちょい挟まれていましたが、今とあんまり変わらないところもありましたね。搬入の風景が西ゲートからだったのですが、西ゲートから入って行く道とかはあまり変わってなさそう。西ゲートの位置自体には変更はなくて、今もあるガソリンスタンドの位置が変わってるかな?と思いました。昔の方が奥にあったみたい。
あと今のBパド、ヘアピン立ち上がりの山あたりはかわってなさそうな気がしました。(これはジョー・ホンダ氏の写真展でも思ったけど)

パドック内の風景はもう全然違いますねえ。ピットビルBの裏が今より狭いかな…?うーん大きい画面でもっとゆっくり見たい(笑)
映画では「パドックには女は立ち入り禁止」みたいなことを言われていたけど、実際どうだったんですかね…と思っていたのですが、映画を見た後に読んだ「日本の名レース100選」にあった大藪晴彦氏の観戦記には「アメリカのインディと同じく、パドックに入ろうとする女の子は追い返している」という内容がありましたので、仕事で来ている人以外は入れなかったのかなあ…。
このころ、ヨーロッパは奥さんとか彼女がタイム計測してたりしませんでした?アメリカは違ったのかな。
アメリカはウーマンリブ運動とかあってうるさくなってきたころじゃなかったんですかねえ…と調べてみたら、その活動が盛んになったのは1967年以降らしいから、このころはアメリカでも立ち入り禁止だったんですかねえ。真面目に調べてみるとこれも沼っぽいな。
1966年はジャネット・ガスリーがインディ500に出る10年前ですね…。

さて、話を映画自体に戻しまして。
この映画、オンボードカメラが使われているんですよね!どうも27号車についていた模様。
右サイドについていたレンズ自体はミラーかなんかかな?って思えるくらいのサイズでしたが、なんかタブの左側には箱っぽいものがついていたような…。
あとフロント側、顔が見える様な向きにもついていました。
だから27号車のビリー・フォスターはポスターに大きく名前を書かれていたのかな…?

このレースはフリー走行とかの時間がとれなかったそうですが、安全装備の不備で走行時間が少なかったため(ヘリコプターとか、シートベルトを切るナイフが各ポストになかったりとか)、走行時間が短いのは満足していないというよりも残念(とか失望とか)だ、ということを、ジム・クラークのマシンの修理を夜遅くまでしていたロータスのコリン・チャップマンが言ってました。
今だと当たり前に思っている安全設備(いやまあハサミだのナイフだのは知りませんが)がなかった時代なんですね。
サーキットで救急搬送用のヘリがないって、国際格式のレースの時じゃありえない気がしますが、当時はヘリなんてなかったということらしいので…。

場内実況で「この年のインディ500では1コーナーで16台がクラッシュしたのをTVかニュースで見た方もいらっしゃるのでは」と言ってたけど放送あったの?当時の新聞を確認したくなりました(笑)
1966年なら衛星生中継の技術はあったようですが、まさか生中継とかはしないよねえ…。
Wikipediaにはこの年のインディ500が、アメリカからヨーロッパへ初めて生中継した回だったようです)

結局このマシンは東京からパーツを取り寄せたけれども直らなかったようで、コリン・チャップマンにRace car is like a woman, very temperamentalとか言われてました。今だったらお前SNSで炎上してるからな!(笑)

パドック内のシーンで印象的だったのは、マシンにタイヤつけるシーンでナットをくるくる~~~って回して、ハンマーでガン!ガン!ガン!と3回たたいて完了。
えっ、大丈夫?だからタイヤ外れてどっかに行方不明になっちゃうんじゃないの?本当に大丈夫???って感じでしたね…。

そういえばレース前、ジム・クラークをみんなが捕獲して、ボビー・アンサーが彼のネクタイを切っていました。これって何か意味があったのかずっと気になっていました。
イタリアだと結婚式で新郎のネクタイを切ってそれをオークションしてお金を新郎新婦に渡すとかいうのがあるらしいですが、ジム・クラークは新婚だったわけでもないし。
ドイツもAsh Wednesdayの前の日に男性のネクタイを切る風習があるとかいうのがあるようでしたが、時期が違うしね…。
あとはアメリカだと新兵さんがいっちょ前になったらネクタイを切るとかもあるらしいですが、ジム・クラークはインディのレースが初めてでもないし、日本に来たのも初めてなわけじゃないし…。
「日本の名レース100選」のクリス・エイモンのインタビューによるとボビー・アンサーとロイド・ルビーは特にやんちゃ(笑)だったらしいから、なんかテンション上がって「うぇーいwww」ってやっちゃったのかなあ…?と思いつつ、アメリカ人に聞いてみたら、どうも「なんだよネクタイなんかしやがって、気取ってんじゃねーぞwww」とか「気楽にいこうぜwww」みたいなノリだったのでは?ということでした。
その頃はカウンターカルチャーの台頭もあって、男性は公式の場ではネクタイとジャケットを着るべしという時代から変わって来ていた時代だということで、なにか深い意味があったとかではなくて、「ネクタイしてるなんてお堅いぞ」とかそういうこと?という推測になりました。

スターティンググリッドは「日本の名レース100選」に載っていたので、そちらから。
しかし大藪春彦氏の汗腺期には「本日の公式試走は行われず、クジ引きで出走車を決めた」とあったけど、グリッドはちゃんとタイム順になっていたんじゃないかなあ…?

やっぱり「日本の名レース100選」にあったスターティンググリッド。

1. #43 Jackie Stewart Bowes Seal Fast Spl. 1:22.49
2. #24 Graham Hill American Red Ball Spl. 1:23.64
3. #5 Bobby Unser Weinberger Homes Spl. 1:24.33
4. #29 Lloyd Ruby Bahdahl Spl. 1:24.35
5. #66 Chris Amon Jim Robbins Spl. 1:24.66
6. #27 Billy Foster Jim Robbins Spl. 1:24.94
7. #56 Jim Hurtubise Gerhardt Offy 1:27.18
8. #93 Jerry Grant Harrison Spl. 1:28.22
9. #96 Greg Weld Harrison Spl. 1:28.25
10. #14 Jim McElreath Bahdahl Spl. 1:28.34
11. #53 Gary Congdon Valvoline Spl. 1:28.55
12. #94 Bill Cheesbourg Gerhardt Offy 1:28.97
13. #34 Sam Sessions Michner Petroleum Spl. 1:29.07
14. #37 Arnie Knepper DVS Spl. 1:29.07
15. #74 Chuck Hulse Blum Spl. 1:29.49
16. #22 Bud Tingelstad Federal Engineering Spl. 1:31.14
17. #7 Larry Dickson Vita Fresh Orange Juice Spl. 1:31.30
18. #42 John Hollansworth Hollansworth Spl. 1:34.36
19. #11 Ronnie Duman Vita Fresh Orange Juice Spl. 1:39.19
20. #39 Bobby Grim Racing Associates Spl. no time
21. #85 Al Miller Caves Buick Spl. no time
22. #41 Carl Williams Prestone Spl. no time


で、レースはローリングスタートでした。ペースカーにもオンボードカメラついてましたね。
93号車がペースカーを追越しちゃったから、フォーメーションラップは2周になってましたね。
そんなことあるんだな…(苦笑)

27号車はオンボードカメラだけじゃなくて顔を映すカメラもついていて、これはもうポスターに名前書かれますわ!って感じでした。でもこの映画が上映されたころには亡くなっていると思うと複雑です、本当に。
レースにスタートしていないけれど来日していた98号車のDick Atkinsにいたってはこの翌月に亡くなっているようでした。本当にこのころのレースは今と比べると危険だったんだなあ…。
(ついでにざっと調べてみたけど、まだご存命の方も少なくないので割と嬉しい)

レースを見ていたら14号車がぐるっと1周オイルまいて走っていたりしたのですが、14号車のマクエリースはこの年のUSAC(今のIndycar)のシリーズ2位だったんですね。今とはなんかレース中の倫理?とかみたいなものはいろいろ違っていたんだろうか。
CAUTION OIL(だったかな?)って書いたボードを持った人がコース上に出てきていて、みんなで手で石灰をまいてました。
オイル旗も14番ポストに出ていたのは確認したのですが、ポストから出しているのではなくてポストの上に立って旗を出していました。あれ、見えていたのかなあ…?
(そういえばアメリカだとミートボールフラッグって言うって聞いたけど本当?)
その後も14号車はスピンして、1コーナー(このレースでは最終コーナー)でバンクの方に向かわずにショートカットさせるところに立ててあったコーンを跳ね飛ばしたりしていました。
今だったらコーンじゃなくて、アメリカのレースだからSAFERバリアかなんか並べるのかな?
結局彼はリタイアしていましたが、リタイア原因はオイル漏れだったようです。スピンじゃなかったんだ(笑)

あとヘアピンでスピンしまくって映像に露出が多かった96号車はミズーリ州出身と言われてました。今Wikipedia読んでみたらもうドライバーのグレッグ・ウェルドは故人のようですが、Weld Wheel Industriesというホイールの会社を作って、色々モタスポのスポンサーもしていたようです。その後その会社は2006年にAmerican Racing Equipmentに、2017年にはCisnerosに買収され、今はMWの傘下だそうですがレース用のホイールも含め、まだ事業は続いているようです。まあWeldなんて名前だもんな、金物の仕事するにはいいよなとか思っちゃった。

そういえばレース中、この96号車をコースに戻そうとするときにチームの人がエキサイトしているシーンとかも映ってましたけれども、日本のマーシャルさんたちはやっぱりつい間違えちゃうのか、いつもの向きにマシンを戻そうとしているシーンがあったようななかったような。あった気がするんだけどどうだったかな。
そりゃ手癖とかもあるよねえ…。

オンボードカメラも積んでいたしレースで上位も走っていた27号車のビリー・フォスターですが、ホームストレートに車を止めてリタイアでした。ホームストレートのスタンド側の草の上にマシンを止めて、コースを横断してピットに戻ってました。
ギアが2速のマシンで頑張っていたとコメント入ってました。
見るからにがっかりしていてね、ほんとにかわいそうでした…。
あれ生で見ていたら私、「来年がんばって!」ってツイートしていると思う(時代がおかしい)

その後は77周めにグレアム・ヒルもリタイアしていました。ヘアピンの先、100R山の手前で山側に止めていました。今度ヘアピンの手前の、クレインガーデン(だっけ?旧ORIZURU)に行ったらしみじみ見下ろしてしまいそうです。
そこからヘアピンの山を自分の足で上ってパドックに戻っていました。
もうちょっとだったのにね~。残念…。

で、レース中にセーフティカーが入ったときにピットインして給油とか、なんかおなじみなストラテジーを行っていたポールスタートのジャッキー・スチュワートが優勝。
チェッカー後になんかジャッキーがI'm very low on petrolとか言ってましたね。
序盤にデュボワさんだっけ?がアーニー・クネッパーのマシンでいろいろ説明していた時に「富士なら給油なしで走りきれると思う」とか言ってたけど、やっぱダメだったんじゃない?
それとも昔は「満タンでスタートして最後まで走り切る」のが定石だったりでもしたんだろうか…?

あと#96, #66, #24がけん引されて帰ってきてました。
とりあえず人命にかかわるようなアクシデントとかなくて良かった…と思うのですが、大クラッシュとかを期待して観に来ていた人もいたんだろうから、そういう人には残念だったんだろうなあ。まあそういう時代だったんだろうけども。

で、レース結果。
なんか当日に出たリザルトは暫定だったのかな?USACの資料だとリザルトが違うっていうので、とりあえず「日本の名レース100選」にあったリザルトから。

1. #43 Jackie Stewart Bowes Seal Fast Spl. Lola Ford 80 laps 2:03:05.35 $7,000
2. #5 Bobby Unser Weinberger Homes Spl. Eagle Ford 80 laps 2:04:45.52 $5,000
3. #37 Arnie Knepper DVS Spl. Cecil Ford 77 laps $3,500
4. #53 Gary Congdon Valvoline Spl. Huffaker Offy 77 laps $2,000
5. #94 Bill Cheesbourg Gerhardt Offy 76 laps $1,450
6. #7 Larry Dickson Vita Fresh Orange Juice Spl. Gerhardt Ford 76 laps $1,550
7. #24 Graham Hill American Red Ball Spl. Lola Ford 75 laps Ignition $1,730
8. #39 Bobby Grim Racing Associates Spl. Watson Offy 72 laps $1,250
9. #93 Jerry Grant Harrison Spl. Eisert Chevrolet 70 laps $1,050
10. #27 Billy Foster Jim Robbins Spl. Vollstedt Offy 69 laps $1,150 Rear end
11. #74 Chuck Hulse Blum Spl. Blum Offy 69 laps $950
12. #29 Lloyd Ruby Bardahl Spl. Lotus Ford 68 laps $850
13. #42 John Hollansworth Hollansworth Spl. Epperly Offy 67 laps $800
14. #66 Chris Amon Jim Robbins Spl. on Spl. Vollstedt Ford 55 laps Accident $750
15. #56 Jim Hurtubise Gerhardt Offy 50 laps Valve $725
16. #96 Greg Weld Harrison Spl. Eisert Ford 48 laps Rear end $700
17. #14 Jim McElreath Bardarl Spl. Eagle Ford 30 laps Oil leak $675
18. #34 Sam Sessions Michner Petroleum Spl. Lola Ford 28 laps Accident $650
19. #85 Al Miller Caves Buick Spl. Gerhardt Offy 26 laps Added oil $630
20. #41 Carl Williams Prestone Spl. BRP Ford 14 laps Fuel pump $595
21. #22 Bud Tinglstad Federal Engineering Spl. Gerhardt Offy 14 laps Rear shock $600
22. #11 Ronnie Duman Vita Fresh Orange Juice Spl. Huffaker Offy 9 laps Gear box $590
NS #1 Mario Andretti Dean Van Lines Spl. Brawner Hawk Ford - Bearing -
NS #19 Jim Clark STP Spl. Lotus Ford - Bearing -
NS #26 Al Unser Lucy Spl. Lola Offy - Bearing -
NS #28 Bob Harkey Preston Spl. BRP Offy - Bearing -
NS #54 Wally Dallenbach Vatis Spl. Huffaker Offy - Bearing -
NS #65 Bob Wente Travelon Trailer Spl. Gerhardt Offy - Engine -
NS #72 Gordon Johncock Weinberger Homes Spl. Gerhardt Ford - Conrod -
NS #76 Art Pollard GCR Spl. Gerhardt Offy - Engine -
NS #77 Rick Muther Dayton Steel Wheel Spl. Gerhardt Ford - Bearing -
NS #98 Dick Atkins Agajanian REV 500 Spl. Shrike Offy - Supercharger -


賞金、完走しなくてもレースに出場したらついたんですね。せっかく来たのにスタートできなかった人たち、残念でした…。

リザルト、冊子に載っていたのは上記なのですが、追記として「USACののちの資料によれば」という追記がありまして、なんか結構変わるんだよね。
多分こっちのリザルトのことだと思うのですが…。
出走した人のところだけ、順位とかが違うところは色変えてみます。

1. #43 Jackie Stewart Bowes Seal Fast Lola Ford 80 laps 2:03:59:35
2. #5 Bobby Unser Weinberger Homes Eagle Ford 80 laps 2:04:45.52
3. #14 Arnie Knepper DVS Cecil Ford 77 lanps
4. #53 Gary Congdon Valvoline Huffaker Offy 77 laps
5. #24 Graham Hill American Red Ball Lola Ford 76 laps Ignition
6. #7 Larry Dickson Vita Fresh Orange Juice Gerhardt Ford 76 laps
7. #94 Bill Cheesebourg Gerhardt Gerhardt Offy 76 laps
8. #39 Bobby Grim Racing Associates Watson FE Offy TC 72 laps
9. #27 Billy Foster Jim Robbins Vollstedt Ford 70 laps Broken rear end
10. #93 Jerry Grant Harrison Eisert Chevy 70 laps
11. #74 Chuck Hulse Blum Engineering Blum FE Offy 69 laps
12. #29 Lloyd Ruby All American Racers Lotus Ford 67 laps
13. #42 John Hollansworth Hollansworth Epperly FE Offy 66 laps
14. #66 Chris Amon Jim Robbins Vollstedt Ford 56 laps Wrecked
15. #56 Jim Hurtubise Gerhardt Gerhardt Offy SC 54 laps Bent valve
16. #96 Greg Weld Harrison Eisert Ford 47 laps Broken rear end
17. #14 Jim McElreath Bardahl Eagle Ford 32 laps Oil reak
18. #34 Sam Sessions Michner Petroleum Lola Ford 29 laps Wrecked
19. #85 Al Miller (Krulac) Caves Buick Gerhardt Offy SC 27 laps Disqualified/added oil
20. #22 Bob Tingelstad Federal Engineering Gerhardt Offy 16 laps Broken rear shock
21. #41 Carl Williams Prestone BRP Ford 15 laps Broken fuel pump
22. #11 Ronnie Duman Vita Fresh Orange Juice Huffaker Offy TC 10 laps Broken gearbox


7位だったグレアム・ヒルが5位になって、5位だったチーズバーグが7位。(6位のディクソンは変わらず)
10位だったビル・フォスターが9位になって、9位だったジェリ―・グラントが10位に。
13位のホランズワースは、67周だったのが66周に。
14位のエイモンは55周だったのが56周に。
15位のハーチュビスは50周だったのが54周に。
16位のウェルドは48周が47周に。
17位のマクエリースは30周が32周に。
18位のセッションズは28周が29周に。
19位のアル・ミラーは26周が17周(あと失格になってます)。
20位のティンゲルスタッドは、14周が16周に。
21位のウィリアムスは、14周が15周に。
22位のデューマンは、9周が10周に変更になりました。

上位はあんまり変わってないけど、それでも「あんまり」のレベルで、後はかなり違うなあ!
1周違うとかはまあわからんでもないのですが、4周違うのとかはどうしたの?って感じだね。

で、また映画の話に戻ります!
レース後(翌日とかかなあ…?)のインタビューですが、優勝したジャッキー・スチュワートにインタビューと、アメリカ勢ではなくてヨーロッパが主戦場であったであろうグレアム・ヒルにインタビュー。
ヒルのインタビューからだったのですが、まあ割となんかいろいろびっくりです。
今の感覚で観てはいけない…。
しかしルックスはすごいムービースターだったので、目の保養にはなりました(笑)
だからこの映画でもインタビューされたのかな…。

ヒルからしたらヨーロッパが普通だからnormal European raceではうんちゃらかんちゃらみたいな話し方だったのでちょっとひっかかりました。ナチュラルに失礼じゃない…?
あと今と安全についての基準も感覚も違うわけですよね、ペースカーは不要だろう(「ペースカーとか意味あるの?」みたいな感じだった)とかも言っていましたね。あの頃の人が今のレースを見たらどう思うんでしょうね…。
ちなみにこの時のレースのペースカーは時速175km制限だったようです。頭の中で「Code 175」って思ってました。
あとリタイア原因は、この時点ではガス欠とかエンジントラブルではなくてもっと単純な、電気系かイグニッションではないかと言ってましたね。結局イグニッションだったみたいですけど。

その次のジャッキーのインタビューでは、「何か秘密の、レースでの秘訣みたいなものってありませんか?」って聞かれていた時に"Motor racing is a very natural thing like singing, something came out from your body."だったかな?
「モーターレーシングっていうのは例えば歌みたいに自然と体の中から出てくるもの」というようなことを言っていたのが印象的でした。
才能ってこともあるかもしれませんが、レースをしたいって思う気持ちのことかなあ…。

レースの後はまた原宿族のジミーさん達のパートがあったのですが、レースの中継を見るシーンも入っていましたが、中継あったんですね。
「スピードレース(と言っていたと思う)に出ていい気になっている奴ら、原宿とかでGTカーで走ったらどっちが速いと思う?」的なことを言っていました…。
まあでもそんなジミー君、昼間は測量したりしてちゃんとしてました。仕事大事だよね、うん。

映画の終わりごろに日本を離れるドライバーたちを映しながら「今回命がけでレースに出ていた彼らのリラックスした顔を見よ。今回は誰もケガ人も死者もいなかったが、年に45回もレースに出ている彼ら、3-4日後にはどうなるか」で、本当に1年たたずに亡くなった方が2名いるわけで…。
命のはかなさ的なものを感じましたが、これ60年代に見ていたら「スリリング!命かけててかっこいい!」的なこと思ったりしたんですかねえ…。
グレアム・ヒルかっこよかったけどビリー・フォスター可愛かったよ。ほんと亡くなったの残念よ…。
今いたらけっこう推してると思うもの、ほんとに!

映画自体は…どうなんでしょうね。私にはわからないです。ジミー君たち原宿族とインディの対比がよくわからないし。でも映像としては貴重!!!!!と全力で吠えたい映画でしたね。
フィルムの色が変わっちゃっていたので、デジタルリマスター版とか本当に欲しくなる映像でした。
また見たい映画です(主に検証のために)。