2001年の夏くらいだったかに、なんとなーく「決めゼリフを言う選手 捨てゼリフを吐く監督」 という本を買いました。
これの原本を読んだ事がありましてね。
ちなみに原本のシリーズにはモタスポ版もあったのよ。
(買ったんだけどちょっと見つからない…)
でね、最近、部屋の片づけをしていたらこの本が出てきたので読み返してたんですが(←部屋が片付かないパターン)、今読むと、とある監督の名前が繰り返し繰り返し出てきます。
その名はゴードン・ストラカン。
私はこの仕事を楽しんでいるんだと思う。酒におぼれることもないし、妻と別れたわけでもない。まだ白髪もそんなにないしね。
私は選手の父親のようなものだ。たまに叱ることはあるが、愛情をたっぷり注いでいる。
Q クラブで一番の親友は誰ですか?
A 私は監督です。友達はいません。
(プログラムのアンケートで。1999年)
フットボールはシンプルなゲーム。選手が複雑にしているだけだ。(1999年)
最初の15分は、1週間練習したとおりにやれた。それで点をとれたので、とても賢いウチの選手たちは、もっとうまくプレーできると思ったようだ。(ウェスト・ハムに敗れて。1997年)
ちなみにこの本の中で私が好きなのは、
「バイアグラ」という言葉を初めて聞いたとき、チェルシーに入った新しい選手かと思った。(チェルシーの熱狂的ファンでもあるトニー・バンクス英スポーツ大臣。1998年)
1-0で負けた試合が7つあったし、0-0のドローも7つあったよね。1-0で負けた試合を全部引き分けてたら、それだけで勝ち点が7つ増えるだろ。0-0のドローだった7試合を1-0で勝ってたら、トータルで勝ち点が28増えるよな。なんだ、プレミアで3位じゃないか。(クリスタル・パレスのアラン・スミス監督。降格の危機が迫る中で。1995年)
夏は大好きだ。絶対に負けないから。(リバプールのロイ・エバンズ監督。1997年)
すべての大都市で、人々がボールを蹴飛ばしながら仕事に出かけるようになればいいと思います。きっとすばらしい光景でしょう。(ビル・クリントン元アメリカ大統領。ワールドカップアメリカ大会の開幕にあたって、アメリカ代表に送った電話メッセージで。1994年)
ノーリッジ・シティにいたときに赤ん坊が生まれて、「ダービー」と名づけた。そうしたら1ヶ月後、僕はダービー・カウンティーに移籍した。いまノーリッジの選手は、がんばって子供を作ろうとしているらしい。「ラツィオ」とか「バルセロナ」とか名づけるそうだ。(ダービー・カウンティーのFW、アシュリー・ウォード。1996年)
あるシティーのファンが、もし自分の庭でユナイテッドがプレーしていたら、カーテンを閉めると言っていた。僕なら、さらに不法侵入で訴えるけど。(マンチェスター・シティのサポーター、クレイグ・ウィンスタンリー。1999年)
バーンリーの試合を見るときだけは、ポケベルを切ります。(トニー・ブレア英首相の報道官、アラステア・キャンベル。1999年)
ムルロア環礁での核実験を中止せよ。ナポリでやれ。(パドヴァのサポーターが掲げた横断幕。1995年)
などです(笑)。
これ、新しいの出てくれないかなぁ(笑)。
お金はいるなら私、自分で訳しますけど(笑)。