dumbreck-fan.com別館 レースなblog 新館

dumbreck-fan.com別館 レースなblogの新館です。こちらでもよろしくお願いいたします。

2018年からF1がグリッドガールを廃止する件

1月31日、2018年からはF1『も』グリッドガールを廃止するという発表がされました。
わざわざ『も』って言うのはWECは2015年からグリッドガールがいないことになっているから。
これについていろいろTwitterで流れていたのを見て、なんとなく言いたいことがあったのでここにまとめて置こうと思います。

さて。

F1に先立つこと3年前、WECはグリッドガールを廃止しました。


ツイートに貼られている画像のテキストをざっくり訳すと

『WECのガレージ、パドック、スタンド、ホスピタリティ、メディアセンターにはたくさんの美しい女性たちがいます。彼女たちの存在をすべての人たちが感謝しています。レースのスタート前以外でも称賛しています。WECには、グリッドでカーナンバーのプレートを掲げる仕事以外にも、たくさんの美しい女性がいるのです。
私たちは、スターティンググリッド上では車こそが美しい存在だと信じています。そしてル・マン式のスタートをすることでル・マン24時間の精神とともに私たちの考えが皆さんに伝わることでしょう。


ということでした。
WECの時ですら「まあこのご時世、そうなるか~」と思いましたね。
WECは言い回しがうまいですね。F1のリリースを読んだ時の第一印象は「いかにもアメリカ…」だったんですけど、これはフランス的な持ち上げ方だなあと思いますね。
あとル・マン式スタートという大義名分は強いね!(笑)

このとき、F1よりもWECの方が中東出身のドライバーさんとかも多いですし、WECの方が女性を表に出すことに敏感なのかな?と思ったりもした記憶があります。

F1にしてもWECにしても中東方面のレースもあるので(だからF1でもシャンパンファイトじゃなくてローズウォーターファイトの国もありますし)、そこら辺(の、特にお金を出してくれる企業)に対しての配慮というのはやっぱりあると思いますが、今回火が付いたのはやっぱり女性蔑視的な視点の話として広まり、そう受け取られたことなんだろうなあと思いました。
やっぱりF1は知名度とか高いんだな、と。
(バーニーのブランド戦略は間違っていなかったんだな 笑)

まあこの『女性蔑視』ですとか『女性の権利』的な話が出てくると、イスラム教の女性が肌を見せるなとか髪を見せるな一人で出歩くな、みたいなことについても話が広がってしまうと思うのですが、まあそれは教義やら伝統に従って、本人もそれで構わないと言っている方もいるでしょうけれどもね、その辺はここでは触れないことにします。(チキン)

そもそもグリッドガールは、レースを観に来ると思われる層(やっぱり男性になりがちですよね)にアピールする手っ取り早い手段ということでスタートしているようですが、今回、普段F1も見ない人たちのグリッドガール論争?が大変面白い。
グリッドガールを、いわゆるハイレグのおねえさんとしか思ってない層からのコメントも面白いし、グリッドガールを「キレイどころを立たせておくのが大事」と思っている層からのコメントも面白い。
あくまで男性に消費される女性を解放せよ!みたいな視点のコメントも面白かったですし、いまだにグリッドガールなりキャンギャルがハイレグ着てると思っている人たちもいてそれはそれでまあ……。
あと「レースクイーンでなくてレースキングにすればいい」みたいな話を出してきた人たちでしょうか。もうやってるからな、それ。
F1で最初に出てきたのは1997年ということをツイートしている方がいらっしゃいましたが、日本でも1998年だったかな?のフォーミュラニッポンのビィブライズで男性がいた。
あとここ10年くらいでもDTMで女性ドライバーが走っているころ、グリッドボーイがいました。
ここでさすがドイツ!って言いたくなる方もいるかもしれませんが(笑)、ドイツは2009年くらいまで、パンイチにボディペイントのお姉さんがいたりもしたからな…トントンですぞ…。

このニュース、廃止されることがどうこうよりも、『F1でレースクイーンが廃止』っていうことでニュースが出ていたものもあったので、「日本でいうところのレースクイーン(キャンギャル)とグリッドガールはちょっと違うんだけど」ということが何より気になってました(笑)

F1からのリリースに出ていたコメントは

グリッドガールを使うということはF1においてもう何十年も続いてきた伝統ですが、この伝統は私たち(リバティメディア)のブランド(F1)にはそぐわないものであり、また明らかに現代社会の規範からも外れています。グリッドガールを使うことはF1にも、また世界中のF1の、古くからまた新しいファンの皆様にも、適切ではないと考えています」

というような感じでしたね。ここらへんの言い回しに『アメリカ』を感じました。
『新しいファン』と言われると、余計にやっぱりレースが増えてきている中東とか、あとはリバティメディアの本拠地のアメリカ(北米)に配慮したのかなあとか思えるので、まあこのご時世だとしょうがないわなあという気持ちになっています。
現代は『政治的に正しい』ことを必要とされる世の中ですし。
ルイスとかインスタライブでぽろっと幼児に「男の子が女の子の服着てたらおかしいよ~」って言ったら大炎上→アカウントの投稿全削除ですからね。有名人って大変だね…。

基本的に『(いわゆる西洋的な)女性蔑視』の視点で話している人がほとんどだったと思うのですが、ルイスが上海GPで表彰台に来ていたお姉さんにシャンパンかけたのが女性蔑視!って吹き上がった話を持ち出されていたりもしましたね。
あれはシャンパンかけられた女性本人が「私は気にしてないから」ってコメント出てたりもしたので自然に収まりましたけど、別方向では「他のドライバーも同じようなことやってるのにどうしてルイスだけ言われるの!黒人だから差別してるんでしょう!?」って吹き上がっているのも見かけました。
本当に大変だねルイスは…(遠い目)

おっとまた脇にそれてしまった。
WECの時にはあんまり出てこなかったような…と思ったのが、グリッドガールをやっていた人たちからの「私たちの仕事を奪うな」というようなコメントですかね。
WECの時にも同様の発言があったかもしれませんが、今回はやっぱり、WECよりも知名度があるイベントでのことなので自分にも目についたのかもしれない。
あとWECだとね、ル・マン式スタートを出されたら反論しづらいだろう(笑)

グリッドガールズからの発言では「フェミニストたちに自分の仕事を奪われた」とか「ポリティカル・コレクトネスが行き過ぎている」とかいうコメントがありました。
グリッドガールはきちんと敬われている仕事である。男尊女卑的な仕事ではない」「見た目以外に取り柄がない人が就くような仕事と思われているが、私は〇〇をしている」「グリッドガールは、子供を出産してもまたその次の年に声をかけてもらえて、仕事に戻ることができた」といかいろいろあって、大変興味深かった。
日本のキャンギャルは若さもウリの一つみたいなのありますけど、出産しても戻ってこられるんだな~と。
(まあ日本のギャルちゃんたちでも私が知らないだけで、そういう人がいるのかもしれませんが)

グリッドガールが訴えているから『彼女らの仕事を奪うな』と言っているのではないか」と食いついてる人たちも見かけましたが、グリッドガールじゃなくても、例えばどこぞの工場が閉鎖されることになりました!っていう時に「私たちから仕事を奪うな!」って言ってるのと同じことだと思うんですよね。だから「グリッドガールが言っているから」って受け取っている人の方が、グリッドガールを何か特別な存在(婉曲)と思っているのではないかと思ってしまいましたね。
個人的にこの話題で気になったのはここなのよ!
「差別をしていると訴える人が一番差別をしているのではないか」と思えてなりませんでしたね。そして大体このあたりの層の人はグリッドガールがハイレグはいてると思ってそうな層。
(日本の国内レースだとまだちょっとそのケはありますが、さすがにF1だとそこまでのことは…)

私は、グリッドガールはいてもいなくてもいいけど、なくすことにしました、と言われると「この時代じゃあしょうがないね」と思ってしまう側です。
ただしグリッドガールの廃止を喜んで受け入れるかというとちょっと違うかな。この『時代の変化』というものに寂しさは感じます。「昔は良かった」的な寂しさというかな。
やっぱり、きれいなお姉さんがお揃いの服で並んでいるのは目を引きます。
(これは『女性の性的消費』とか言われてしまうんでしょうな)
また、グリッドガールズが仕事を失うとは言え、F1のグリッドガールをやってる人がそれだけで食べているわけではないと思うので(全戦同じ人たちがやってるならともかく、そうじゃないし)、別のところで何か仕事あるといいね!って祈ります。
グリッドガールが「仕事にプライドを持ってやっている」とか「その国の文化を体現している存在」とか言われても、彼女たちに配慮をするか、実際お金を落としてくれる層などに配慮をするか、って言われると「そりゃグリッドガールに配慮はしないだろうな」と思えてしまう。
それはグリッドガールが女だから配慮をしないとかではなくて、『今後ファンになってくれるであろう人たち』とか、『政治的に正しいことを是とする人たち』の方を優先することに一定の理解を示す、という話。
これは例えばTVの実況解説がマニア向けのみのものか、それとも初心者向けのものか、というのに近いんじゃないかと思います。

今回の『グリッドガール廃止』で廃止に反対の意見が出る件、「F1(もしくはモータースポーツ)は男性社会であるから、女性を性的に消費している!」とかいう話ではなくて、「女人禁制だった山に女性も入れるようにするかどうか」みたいなものなんじゃないかと思うんですよ。
もちろん単純に「別嬪さんがいないF1なんてクソだ」って思ってる人もいるかとも思うけど(笑)、『昔(前)からのF1ファン』がグリッドガール廃止について反対するのは、そこもあったのではないかと思います。
「山に女性が入れるようにしましょう!」が「モナコGPでグリッドボーイに立ってもらいましょう!」だとしたら、「女を入山させたら神様が怒った!」「男を立たせたらドライバーが嫌がった!」みたいな?
そして「神様が怒ったからまた女性は入山禁止」ってしたけど宮司(運営)が変わったので「やっぱこのご時世…」ってなった感じがします。
うーんこの例えってどうなのか?
多分この「女人禁制の山」とかで例えるとオチは「じゃあもう誰も入れないってことで」=「グリッドに人は立たせないってことで」ってなるのかもしれない(笑)

私がグリッドガール廃止、っていう話を聞いたときの第一印象は、「じゃあインディ500の牛乳方式で、男がいいとか女がいいとか、細身な子がいいとかグラマーとかマッチョがいいとか、嫁さんとか彼女がいいとか、自分の子供がいいとか自分で選ばせるようにでもするのかい?」だったのですが、そんなことさせたら手間(ってことはコスト)がかかってしょうがないよね。
ロゴとかも出しづらくなるし、商業的にはよろしくないんだろうなあと思うのでこれはないと思う(笑)

グリッドガールのシステムは粒ぞろいの女性(なり男性なり…)が立ってる方が写真とか映像とかの見栄えはいいと思うのですが……またこの『粒ぞろいの女性』とか『見栄え』とかいうのが問題発言なんだろうなあ(笑)
ドライバーの写真の書き割りでも出すのかね?……って、それだと安っぽいよね(笑)
そういうことを考えると、WECみたいになるのかな?と思うんですよ。
(まあ車を並べる向きは違うけど、だからこそサイドからもカーナンバーが見やすいようにという変更をするのかもしれない)

アメリカだとグリッドガールがいないのかな?と気になったのでインディカーの例を探してみたら、2017年のトロントの写真では何列目、ってボードを持ってるチアリーダー風のお姉さんはいた。
あと2017年のインディ500でも、3台分のカーナンバーが出ているボードを持ってる人がいたようです。

WECでは女性がグリッドに立たなくなっても粛々と進んでいっているので、F1もグリッドのボードをもって立つうるわしい女性に代わり、スタンド側やTV側にも見やすく、かつ『政治的に正しい』案が出てくるのかな。
グリッドガール的な人やものを置かないという可能性も含めて、ね)

話はちょっと変わりますが、今のF1のオーナーのLiberty Media、結構野心的な名前だと思います。
アメリカ独立の象徴の一つのリバティ・ベル(自由の鐘)とかを思い出させるしね…実際どういうイメージでつけた名前かは知らないけどさ。
これからもF1は続いていくでしょうし、続けていくためには時代に即した形での変革が進んでいくのだろうな、と思うので、今後もこういったびっくりニュースが飛び出してくることがあるんだろうなあと思います。

ただカルメン・ホルダ希望の女性ドライバーだけのF1とかはやめろよ?な?
そういうびっくりは無しにしてくれよ?