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今日の小ネタ〜ドイツ車度高し。

またティーマンの件から。
ティーマンの容態は安定しています。
んで、血腫とかの状態は自然に縮小傾向にあるようです。ゆっくりだけど。

この記事だと、「普通の生活ができるようにはなるはずだけど、時間がかかる」ってあるんだよね~。
レースは無理かなぁ…。
でも、無理でも、元気になってもらえればそれで安心ではあるけどさ…。
やっぱりレースに戻って欲しいとは思っちゃうわけですよ…。

そんで、この記事の下のほうにコメントつけてるのはThomas Biagi
2003年、2007年のFIA GTでタイトル取ったり、稀に(爆)F1のテストしたりもしてるドライバーですわ。
良いキャリア積んできてるドライバーです。
個人的に知ってたり見たことあるドライバーじゃないけど、私なんかでも良いドライバーなんじゃないの?って印象がある人。
それが、
「あのひどい動きをしてティーマンをクラッシュさせたドライバーにペナルティはないのか?素人にもほどがあるよ。3ヶ月くらい出場停止にして、罰金払わせて、その罰金をティーマンに渡したって悪くないだろ?」
とか書いてる。

そうだよね、あれはないよね!?
100 per cent agreeできますよ。
罰金をティーマンに、ってのはできるのかどうかわからないけど(苦笑)、これはおいらみたいな素人が見てもプロが見ても「あの動きはひどい」ってのが判明して、その点では嬉しい。
そうだよね、あんな幅寄せ普通やらないよねー!?

先日、ジェフ・クーンズがBMWのアートカーのカラーリングやって、その車がル・マン24時間に出るってんで個人的に盛り上がりましたが(笑)、1979年はアンディ・ウォーホル、1976年はフランク・ステラがやってて、そんでル・マンに出てたんだね。ル・マンに出てたのは知らなかった。
そういえば2年位前に六本木ヒルズで展示してたけど、行かなかったんだよな~。
あの時、ステラのは来てたんだよね。
こう、並べて見てみると、BMWはやっぱり漢だと思う…。

あと、ダンブレック先生ネタとかないかしら~って思いながら(笑)スパイカーって検索したら、スパイカーがサーブを買収、成立したんですね。
スパイカーって景気いいんですか?っつか前にはリトアニアのSnoras Bankがスポンサーについていたが…。
…と思って今のスポンサーのConvers Groupを探してみたら、こんな記事が。
ああ、去年ロシア人が乗ってたのもわかるわ…というか、Convers Group→Snoras Bank→Spykerなのね。
サイトは工事中~。

ちなみにSpykerはオランダから、ル・マンに向けては明日出発するようです。

あと「伊達公子の夫のGT―Rが3位」っていう記事があったんですね。

伊達公子の夫のGT―Rが3位
 FIA GT1世界選手権第3戦決勝が23日にチェコのブルノ・サーキット(1周5・403キロ)で行われ、女子テニスのクルム伊達公子(39=エステティックTBC)の夫ミハエル・クルム(40)とピーター・ダンブレック(36)組のニッサンGT―Rが3位表彰台を獲得した。
[ 2010年05月25日 ]


マイケルだけじゃなくてピーターも出てる~♪
ありがとうスポニチさん。

話は変わって。目についた話を一つ。

スティーブ・マックイーンが「栄光のル・マン」で走らせたマシンが修復されて、ル・マンクラシックに出ることになったようですね。
これ、きいたなりゆきが面白かったから書いてみる。

このマシン、もともとが1969年製造のPorsche 908クーペだったそうですが、1回レースに出ただけで(デイトナ24時間でリタイアだって)、Porsche 908/02に作りかえられて、1970年のシーズンスタート前にマックイーンの会社に売られたんだそうです。
しかしそれでもシャシーのシリアルナンバーは908クーペの時の908-022のままだったんだそうです。
そんで、セブリング12時間で、マックイーンとピーター・レブソンが、マリオ・アンドレッティ組に続いて2位。
本番のル・マン24時間では、「ちゃんとレースに出場しないとダメ」っつったから、Herbert LingeとJonathan Williamsがドライブ。
マックイーンも走るつもりだったらしいんだけど、映画の保険屋さんがダメっつったから出られなかったらしい。
まあなんかあったらねぇ…。
カメラのフィルムをとりかえたりしてタイムロスしてるのに9位のリザルトになってるんだから大したもんですね。
本当にちゃんと完走したのは7台っていうレースだったみたいですけど。

えーっと肝心の映画を公開したらコケちゃったらしくて、このマシンは今度はグアテマラ(!)のGuillermo Ortegaのところに行って、今度は彼が1974年のル・マン24時間のレース中にクラッシュ、大破。

そしてこのオルテガさんは、908/02は2台目。
1台目は1973年に908/02-18をお買い上げしてらっしゃったのですが、こちらもどうも壊していらっしゃった様子。
しかしAugust Deutschという方がその2台を修理して、908-022を復活させちゃったんだそうで。
そんでマシンはヨーロッパに来て、色んな人が走らせてたようです。
その中にはふさふさだった頃のじゃなくて細かったころのじゃなくて若き日のゲルハルト・ベルガーさんもいたそうです。

んで1982年にはもともとの規格に戻して、ドイチュさん本人がヒストリックカーレースで走らせていて、マシンが作られてから40年、ずーっと現役できているんだそうです。
2004年にもル・マンクラシックに出たようですが、今回はさすがにそのカメラは当時のものではないようですが(笑)、カメラも付けて復活!

で、このマシンと一緒に908/02の009番と019番もエントリーすることになっているそうです。
このオーナーはOttokar Jakobs氏。
もともと、009の方はマルティニレーシングに行ったのかな?
908-022とは1970年のセブリング(ジェラール・ラルース組が7位)、ル・マン(予選通過したけどクラッシュしちゃって欠場)で、同じレースにも出たことあったんだって。
このマシンの前のオーナーは日本人だったんだそうですよ。
で、この009番はアメリカとかヨーロッパでヒストリックカーレースで走ってて、最近も908-022と同じレースに出たことあったらしい。

で、残りの1台の019はル・マン参加は初めてなんだって~。

もう多分「シャシーナンバーのプレートだけがオリジナル」とかいうレベルまで来てるのか知れないけど(笑)、正直、プレートだけでも残ってるってすごいことかもしれんと思います…。