dumbreck-fan.com別館 レースなblog 新館

dumbreck-fan.com別館 レースなblogの新館です。こちらでもよろしくお願いいたします。

インディ500の歴史(抄) その2

1936: 3勝を記録…と、もう一つ。
Louis Meyerがインディ500で3勝目を記録。これは彼がお初だったそうです。
それだけでなく、インディ500でお約束となっている(主に)3つのことを彼が始めたんだそうです。
それは、ウィナーはレース後にペースカーでコースを回ることと、ミルクを飲むのと、Borg-Warner Trophyを受け取ることの3つなんだそうです。
あのトロフィーはそんなに古いものだったんですね~。
ちなみにこのミルクを飲むのがお約束になったのは、この翌年から。
ただ1947年から1955年はこの行事はなくなりましたが、56年からあとは毎年必ず行われているそうです。
(90年代にエマーソン・フィッティパルディが勝ったときだけは、確か自分の農場のオレンジジュースを飲んで、罰金かなんかくらってなかったっけ?という記憶はある)

1937: 130マイル越え
またスーパーチャージャーが復活したので、Jimmy Snyderが、予選で130mphを越えたそうです。
彼は、予選は19位からスタートしてたんですが、3周目にはトップに立ってしまったそうです。
結局27周目にはトランスミッションが壊れてしまったそうですが。

1937: 2秒差で優勝
Wilbur Shawは、自分でデザインして作ったマシンでインディ500に参戦していたそうですが、レース終盤に油圧がさがっちゃってペース下がっちゃったんだけど、でも2位のRalph Hepburnに2.16秒の差で優勝したんだそうです。
この2.16秒差っていうのは、この後45年くらい破られなかった、「最も僅差でのフィニッシュ」だったんだって。

1939: 将来のスタンダード
George Baileyは予選を平均速度125.821mphで通過。
レースは47周しかもたないでリタイアしちゃったそうですが、彼はインディ500において初めて、エンジンをドライバーの後ろに置いたマシンでスタートしたドライバーなんだそうです。

1940: 連勝
Wilbur Shawは史上初の、インディ500の連勝を達成したドライバーなんだそうです。
そして1933年から参戦して優勝3回と2位が3回という記録もあり、彼は今までのドライバーで一番いい結果を残しているドライバーなんだそうです。

1941: 3連勝の夢ごとクラッシュ&また優勝が2人
Wilbur Shawはレースでトップを走っていたけれど、クラッシュしてリタイア。
彼自身の背中のケガと、WWIIのせいでインディ500は4年間中断されたこともあり、彼はそのまま引退してしまうそうです。
その後、彼はインディアナポリスが消滅しないように尽力をしていくとのこと。
さてもう一つ。
ポールからスタートしたMauri Roseはメカニカルトラブルでリタイアしちゃいましたが、彼はチームメイトのFloyd Davisと交代して走ります。
前年もそうやって3位に入ったそうなんですが、彼は80周目では12位だったのですが100周目には8位、160周目には2位、そして162周目にはトップに立ちます。
そしてそのままチェッカーを受けてしまったので、オフィシャルは、1924年の例もあることだし、と、フィニッシュしたRoseと、スタートしたDavisの2人を優勝とすることにしたそうです。

1946: 奇跡の復活
Tony Hulman Jrがインディアナポリスを買い取ってから、なんと半年でインディ500は復活します。
でも客の入りはすごくて、レースがスタートしても身にくる客で回りは渋滞していたとのこと。
(どこの富士のオープニングイベントかと 爆)
この復活のレースは、George Robsonが優勝したそうです。
しかしこのレース、50歳になったRalph Hepburnが予選で平均速度133.944mph(215.525kph)、ベストは134.449mph(216.338kph)を記録。
今までの記録を一気に4マイル上回ったんだそうです。

1948: 6輪すか?
Billy Devoreが予選で123.967mphを記録。
これは別に目新しい記録ではありません。
何が目新しいって、6輪でやってきたからなのですな。
これは当時ダートラドライバーだったPat Clancy(今は小さいけど運送会社の社長)のアイデアで、「トラックは、後に2組タイヤがある方がいいんだけど、それをオーバルでも応用できないか」というものだったらしい。
Devoreはレースを12位で走行。
翌49年、Jackie Holmesがこのマシンを走らせて、予選を128.087mphで通過したそうなんですが、レースではドライブシャフトが壊れたため65周でリタイア。
6輪でのチャレンジはこの2年で終わった模様。

1949年: Novi V8に萌え~
V8 スーパーチャージャーのNoviの音がイケてるっていうファンが増えてきたんだそうです。
んで、そのマシンに乗るDuke NalonとRex Maysの2台が1列目からスタートして、1-2で走ってたんだそうです。
が、Nalonは23周目のターン3でのアクシデントで火傷、Maysも45周目でリタイアに終わりました。
が、ファンは「来年はきっといけるぞ!」と、もう来年の期待をしてたんだそうな。

1950: ルーキーが記録樹立
予選初日がもうあと何秒かで終わろうというときに、ルーキーのWalt FaulknerがJ.C. Agajanianのダートトラックの車で、今までの予選の1周と4周トータルの最速記録を塗り替えました。

1951: 優勝したけどさ。
Lee Wallardは当時40歳、第2次世界大戦では海軍に入っていたようですが、彼はオフシーズンにブルドーザー乗って仕事したりしてお金を稼いで、インディ500にやってきました。
レースでは彼は半分を過ぎたところまでトップを走行。
ところがメインストレートでリアのショックが壊れてクラッシュ、それでもコースに戻って走りましたが、今度はエキゾーストパイプが壊れてしまいました。そして残り12周というところで、今度はブレーキが壊れてしまいました。それだけでなく、耐火スーツで肌がひどくすりむいちゃったりもしてたんだそうです…。
結局それでも勝ったんだそうですけどね。
レース後、コース内の病院に連れて行かれた彼は、体中に薬を塗られたそうです。
てかバカにつける薬は…いやその…(爆)。
ちなみに彼、そこで体重を量ったら、朝量ったときより15ポンド(6.8kg)減ってたそうです。
いやね。水分とかも出てってるんだろうけど、それでもなんでそんなにダイエットしちゃうかなあ………
聞いてるだけでイタい話です。

1952: 今度はディーゼル車が予選記録更新
ディーゼル車に乗ったFreddie Agabashianが139.104mphを記録してポールポジションを獲得しました。
この車のエンジンはコロンバス近郊のCummins Engine Companyが作ったんだそうですが、実はインディ史上初のターボエンジンだったとのこと。
結局レースでは71周で、オーバーヒートでリタイアしちゃったとのことです。

1952: 最年少優勝記録
Bill Vukovichは残り9周のところまでトップだったんですが、ステアリングのトラブルでリタイア。
そこでトップに立ったのは当時22歳のダートトラックレーサー、Troy Ruttman。そのまま優勝して、最年少優勝記録を作りました。

1953: 史上一番暑かったレース
なんでも気温35度、路面54度にもなるようなレース(まあ日本の夏だとそんなにびっくりする数字じゃないっていえばないんだが)だったそうなんですが、優勝したBill Vukovichはリリーフドライバーと交代せず、一人で200周のうち195周をトップという記録で走ったそうです。
他はもちろんセカンドドライバーどころかサードドライバーまで出てきていたようです。
暑い暑いって言ってた他のドライバーに、Vukovichは、
「これが暑い?7月にFresnoでトラクターに乗ったことないからわかんないか」。

1954: 140mph突破
Jacl McGrathが、予選で141.287mphを記録して、最速記録を更新。
彼は6回インディに出て5回もフロントローに入ったそうなんですが、残念ながら1度も勝てなかったそうです。(このときも2位)

1957: 奇跡的
George Salihは1951年の優勝したチームのメンバーだったそうなんですが、4シリンダーのオッフェンハウザーエンジンでレースに出ようと決心したそうです。
スポンサーを募ったけど見つからないので、自分で借金して資金を工面したんだそうです。
で、そのマシンはベテランドライバーのSam Hanksが乗ることになりました。予選では135.601mphを出し、レースも優勝。Hanksはヴィクトリーレーンで引退を発表。
Salihのマシンを乗りたいというドライバーも出てきて、翌年はJimmy Bryanがそのマシンに乗り、優勝したんだそうです。

1960: もうすく150mph&激しいトップ争い
予選で、数年前に記録されたEddie Sachsの予選の最速記録を初日に更新したのが26歳のダートラ出身ルーキーのJim Hurtubise。1周のベストは149.601mphで、4周トータルだと149.056mph。一気に2マイルくらい更新してます。
そしてレースでは、Jim Rathmannと前年優勝のRodger Wardが2台で激しいトップ争いをしました。
レースリーダーが交代したのは計29回あったそうなんですが、そのうち14回はRathmannとWardで争ったそうです。
この2人は何フィートも離れることなくずっと争っていたんだそうですが、残り何周もなくなったところで、Wardは自分の右フロントのタイヤがおかしいことに気付きました。彼はピットインはせず、そのタイヤをいたわって2位でゴール。
この年に優勝したRathmannは、過去にもう2位に3回もなっているドライバーだそうですが、このときのレースの平均速度、138.767mphという記録も作ったんだそうです。