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インディ500の歴史(抄) その4

1982: トップと最も僅差でフィニッシュしたレース
最も僅差でフィニッシュしたレースっていうのは1937年で、その差は2.16秒だったそうなのですが、この年端Gordon JohncockとRick Mearsがその記録を更新しました。
186周の時点では13秒だった差が、188周目には11秒に、192周目には7.9秒、193周目には6.4秒、195周目には4.6秒、196周目には3秒、197周目には2秒までつまりました。
MearsがJohncockに並んだ場面もあったようですが、結局0.16秒差でフィニッシュしたようです。

1983: Snevaが初優勝
レース終盤にフルコースコーションになっていた時、トップにたっていたのはすでに3勝をあげて今回4勝目を狙っているAl Unser Sr.で、2位にいたのは2位4回を記録したくないTom Snevaでした。
176周目にレースは再開。
その時、周回遅れの車がトップの2台の前にでましたが、それはインディ500史上初の親子同時参戦をしていた、Al Unser Jr.でした。
彼は、お父さんの方にはすんなり道を譲りましたが、Snevaのことは結構ブロックしたそうで(まあ当然だ)、それは結構批判もされるようなくらいだったらしんだ。
でもまあ結局Snevaはそんな小僧の妨害をはねのけて、191周目にはUnser Srをパスして、初優勝をあげました。
エンジニアのGeorge Bignottiはキャリア7勝目。
でも、やっぱりこのレースで目立ってたのはLittle Alだったようです。

1984: Snevaが210mph
Tom Snevaが予選で、過去最速の210mph越えを果たしました。
4周で、209.113mph、209.898mph、210.432mph、210.689mphを記録したそうです。
彼は前年に引き続き優勝するか?と思われてましたが、残り30周のところでRick Mearsに抜かれて、2位になってしまいました。

1985: スピンしても勝った
レースの120周目、トップを走るMario AndrettiをDanny Sullivanが抜こうとして、インをついた時にテールスライドしてスピンをしてしまいました。
Sullivanは1 1/4回転したんですが、それをAndrettiは内側に避けて、なんとか2台のクラッシュを免れました。
ここでSullivanはウォールに当たりもしなかったのでそのまま走って、その次にピットに入ってタイヤ交換をして、それまではいていたタイヤを見てみたらフラットスポットもできてない!
その20周後、また同じ所でSullivanはAndrettiを抜きにかかりますが、今度はスピンもせずに成功。
「スピンしたけど優勝した」初めてのドライバーになったそうです。

1986: プレゼント。
レース終盤、Kevin Coganがトップに立ち、2位と3位にRick MearsとBobby Rahalがいました。
この時、レースが残り2周というところでのリスタートになり、Rahalがとてもいいリスタートを決めてCoganをTurn 1で抜いて前に出ました。Mearsもすぐ後についていて、優勝したRahalから1.27秒差でフィニッシュ。
これは史上最も僅差な1-2-3なんだそうです。
しかしそれよりも今回のレースでは、優勝したRahalのチームオーナーのJim Truemanの方が記憶にのこるものになりそうです。
Truemanは病気で、レースこそピットで見ていましたが、レース後の地元での優勝パレードには体調があまりにも悪くて参加できなかったそうです。
そして彼は、レースの11日後に亡くなったそうです。
悲しい話ではあるかと思いますが、最期にいい思いをさせてあげてもらって、良かったよねえ。

1987: 優勝したのはショーカー!?
トップを走っていたRoberto Guerreroがルーティンのピットインをしたとき、ストールしてしまったので、Al Unser Jr.がトップになりました。
彼は優勝することができましたが、そもそも彼はレースに出られるかどうかも分からなくなっていたんだそうです。
ペンスキーで走ることになっていたDanny Ongaisがプラクティスでクラッシュして意識を失ったりしていたので、一旦このチームから外れていたUnser Jr.が出られることになったんだそうです。
で、ここからが大変。
出るのはいいんだけど、実は去年のシャシーの方がいいからっていうんで、必死で古いシャシーを探したら、ペンシルバニアのホテルのロビーに飾られてたのが1台あったので、それを持ってきたんだそうです。
そして、今回Unser Jr.が優勝して、レースリーダーの周回数を613まで伸ばし、1921年にRalph DePalmaが作っていた記録をようやく更新することができたんだそうです。

1989: 仲良しこよし
Emmerson FittipaldiとAl Unser Jr. は仲が良いそうですが、この2人がこの年はトップ争いをしたそうです。
レース終盤に2人はターン3で接触、Little Alはコントロールを失って、スピンしながらウォールにぶつかってしまいました。
セーフティカーが入って、「Alが死んじゃったらどうしよう!」と焦ってたEmmoに向かって、マシンを降りたLittle Alが、コースサイドから両手サムアップしてあげてたんだそうです。

1990: レースの平均時速185mph
この年、168周目にトップに立ったArie Luyendykは、平均速度185.981mphで、500マイルを2時間41分18.404秒でフィニッシュしました。
この年はコーションは、短いのが4回しかでなかったかららしいですが、第1回のレースのタイムを4時間も縮めちゃったんだそうです。

1991: 初の黒人選手の予選通過&やるじゃん☆
予選セッションが残り45分になったところで、トラブル続きでまともに走れていなかったWilly T. Ribbsが4ラップ続けてトラブルなしで走ることができ、アフリカ系アメリカ人として初めての予選通過となりました。
予選は217.358mphで通過。
彼に向かってみんなが手を振って、快挙をたたえていたそうです。
さて、レースではMichael Andrettiがなかなか見られないオーバーテイクを見せてくれました。
リスタート直後のターン1でRick Mearsをオーバーテイクするのに、アウトからかぶせて抜いてったんだそうです。
しかし、滅多にないはずのオーバーテイクだったらしいんですが、次の周、もうスピードがのってるっていうのに、今度はMearsが同じことをしてAndrettiを抜いていったそうです。
このレースは、そのMearsが4勝目を挙げ、A. J. FoytとAl Unserに続いて3人目の4勝したドライバーになったそうです。

1992: 0.043秒差
194周目にリスタートがあって、その時Al Unser Jr.がScott Goodyearの前にいました。
33番手からスタートしたGoodyearは、最後のターンまでついていきましたが、前に出ることは出来ず、結局0.043秒差で2位に終わったそうです。
これが現在の、1-2位が最も僅差だったレースだそうです。

2001: エリオのフェンスのぼり
前年にはコロンビアのルーキーのJuan Pablo Montoyaが優勝しましたが、この年は同じく南米の、ブラジリアンのHelio Castronevesが優勝しました。
大喜びしてたCastronevesは、伝統ではヴィクトリー・サークルまでまっすぐいくことにはなってましたが、彼はマシンをフィニッシュラインのわきにマシンをとめて、トラック脇のフェンスをよじ登りはじめました。
彼のチームクルーも何人も、彼の後を追いかけてきて、喜びを分かち合ったそうな。

2005: ダニカがレースをリード
190周目にリスタートしたとき、それまでトップを走っていたDan WheldonがDanical Patrickに前に出られたのを見たとき、観客は女性初のインディ500のウィナーが見られるかという期待で盛り上がったようですね。
しかしこの前、56周目に、ピットインのタイミングがのおかげで、ダニカは女性初のレースリーダーを記録しました。
190周目にトップに立ったときは4周トップを走り、その後Wheldonに抜かれてしまい、結局4位でレースを終えました。
しかし、最終ラップに観客席から彼女を応援する声は、過去何年も聞いたことがないほど大きいものだったそうです。
1978年にJanet Guthrieが残した9位フィニッシュが女性としては最高の結果でしたが、Patrickはこれを塗り替えました。