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今週のAutosport: 14/6/2007号

久々ですな~、これやるのも。

ルイス初優勝なので、ルイス祭り(笑)。
お父さんからの蔵出し画像で、ルイスが、ミカのマクラーレンメルセデスのレーシングスーツ着て、袖とかだるんだるんに余ってる写真とかあるの。
か~わいーい(≧▽≦)

んで、「ルイスの元チームメイトからのコメント」が面白かった。
ので、今回はそれを訳してみた。

まずニコ。2000年・2001年にカートでチームメイトでした。
「カート時代、ルイスは最初に入ったチームがあんまり良くなかったから『大したことないじゃん?』って思ってたんだけど、次の年に僕と同じチームに入ったら、見方が変わったね。ほんとに速いんだよ。
あの頃は同じホテルの部屋だったんだよね。僕ら二人とも、何かにつけて競争しちゃうタイプの人間だからさ。ピザ食べてても、レースしてても、ホテルの階段上がるのも競争(笑)。もう大変(笑)。
僕らが同じチームだった2年目は、当時のテクニカルディレクターが新しく自分たちのシャシーを作るとか言いだして。まあ最初は良かったんだけど、世界選手権用のタイヤが合わなくて合わなくて。
おかげで僕らは15位と16位って結果になっちゃった。
そんな彼も僕を飛び越して行っちゃったけど、そんなのF1じゃあありがちな話だよね。
で、確かにルイスの、ルーキーとしての結果は特別だけど、また、ハッキネンみたいに初優勝まで6年かかるチャンピオンもいたわけだからね。僕は僕さ。
一般論として、チャンスが来たらそれを確実に捕まえて、そしてそれが捕まえられるところにいないといけないと思う。
もちろん僕は彼が優勝したことが嬉しいよ。長い付き合いだしね。それに彼は、勝つのが当然の力があるしね」

んでクビちゃん。2004年のマカオで、マナーで一緒に走ってます。
「1998年から同じレースに出てたよ。だからルイスのことはよーく知ってる。
カートの頃は一緒に遊んだりもしてたよ。で、2000年はルイスはニコのチームメイトだったけど、それでも僕らは仲良かったね。
で2004年、彼はユーロF3初年度だったマナーに入って、チームと一緒に苦労してたと思う。
あの年は僕もミュッケで苦労してたんだけど、マカオだけは僕もマナーから出場することになったんだ。
僕はレイトブレーキングが得意なんだけど、マカオで初めて僕くらいレイトブレーキングな奴に会ったと思ったね。
マカオではいつも同じようなところで僕たちは争ってたんだ。
笑っちゃうよー、二人のデータを見比べてるのに、二人も走ってるとは思えないくらいそっくり(笑)。
で、あの時は僕がポールを取って、ウォームアップではコースレコードを出した。
レースでは、ルイスとニコは2周目でアウト。僕にとっても、いいレースとは言いがたかったな。勝てる体制があったのに、セーフティカーでチャンスを失ってしまった。
僕は他の奴について語るのとか好きな方じゃないけど、ルイスは、他のドライバーとは違う。
彼は、テストで2日も乗らないと結果が出せないようなやつじゃない。ちょっと来てぱっと乗ったらすぐ結果が出せるようなドライバーだよね。僕はそういうドライバーこそが本当にいいドライバーだと思ってる。
いままで他の誰にもそういうことを言ったことはないけど、彼は本当にいい奴だ。
彼は速いし、彼の出してきた結果に、僕は驚かないよ。」

2005年にASMでチームメイトだったスーさんは、
「ほんとに最初に会ったのは2004年。別のチームだったけど。
で、翌年同じチームになって、性格もまあ似てて、色々楽しいことがいっぱいあったよ。
彼は、僕にとって最初に本気で戦わないといけないチームメイトだった。
彼は、着実に結果を残すタイプのドライバーでもあるけど、同時にすっごい闘争心も強いドライバーでもある。
F3の時一度、あるコーナーで僕が彼の前に出たら、彼は素直に抜かれるか、さもなきゃ僕に当たるしかなかったんだけど、その時、彼は僕に当たってきたんだよ!だから僕らは二人してコースアウトしちゃった。
あれはお互いあんまりいい思い出じゃないけど、彼は2位になるくらいならリタイアする方がいいってくらい思ってるんだよね。
もちろんサーキット外でもいい友達だよ。
オーストラリアの後はタイとかバリとか行ったんだ。そのあたりなら、サーキットの周りとちがって、僕らのことを知ってる人もいないと思ったんだけど、あのあたりでも、彼のことを知ってる人に何人か会った。
そのうち彼は、おちおちバカンスでのんびりもできなくなっちゃうんじゃないかなあ。
彼はF1でも速いだろうってことは僕は知ってたよ。
そんで、そのうちアロンソに勝つだろうってことも僕は分かってるよ。ふふふん♪」

で、2006年にARTでチームメイトだったプレマは、
「彼の方が大体速かったけど、去年、僕はルイスより前にいたことも何回かあった。一応ね。
でもとにかく彼は『スーパースター』ってことなんだ。
去年、シーズン最初はそんなに離れてたわけじゃなかった。僕の方が速かったり、彼の方が速かったりとか、まあそんなもん。
彼は、特にテストで印象的だった。彼はいつでも、マシンに乗ったら激しくプッシュする。
シーズン途中では、僕は調子を落としてしまった。
そしてチームはルイスに力を入れてたし、メディアもみんなルイスに注目してた。
だから僕は自分を見失わないようにするのが大変だった。
最後の4レースは、僕は最悪だった。今後レースを続けていくのに必要な資金のこととか考えないといけなくなってたし…。
レースでミスこそしなかったけど、精神的にもいい状態じゃなかった。
でも彼は精神的にもいい状態にいた。彼はいつも前向きで、マシンでも自分自身ででも、とにかく最善を尽くす。
彼はとってもF1 向きのドライバーだ。彼の今後の成功を祈ってるよ。
僕も、彼からいろいろなことを学んだ。そして彼も僕から学んだこともあったと思うよ。僕だってバカなドライバーなわけじゃないし。
彼がF1でうまくやってるように、僕もDTMでやっていきたい。
そんで「ルイス、俺だってやってるよ!」って言ってやりたいんだ。」

2003年にフォーミュラルノーでマナーに乗ってた、マシュー・ウィルソン。
結局シングルシーターはこの一年だけだったんだよね…?(記憶に自信なし)
「当時僕は16歳で、ルイスは2歳年上。ルイスは、僕にいろいろなことを教えてくれた。どれだけアドバイスを受けたか、そしてその機会をどれだけ作ってくれたかわからないよ。
彼はあの年チャンピオンをとるだろうって言われててプレッシャーもすごかったと思うんだけど、それでも彼はいつでも僕の先生役になってくれた。
シーズン最初の何戦かは大変だったんじゃないかな。3戦目くらいまで優勝できてなくて…。それでも僕の先生でいてくれたんだよ。
思い出すのは、特にドニントンだね。
彼は僕のことを何周もの間引っ張ってくれて、おかげで僕のタイムは劇的に速くなった。
僕をコースで引っ張ってくれて、その後一緒にデータを見る、ってのがいつものやり方だったんだ。
彼は、チームの誰のためにでも時間を作ってくれ、常にチームのためになるように動いてくれてたんだ。
ラインとかだけじゃなく、レースってのがいったいどんなものなのか僕に色々教えてくれた。予選のタイヤの使い方とか、アタックのタイミングとか。そういうことはみんなカート時代に身につけたって言ってたね。
僕はT-Carあがりで、一緒にレースしてたのは10台とか11台とかだったから、台数の多いカートとは違って、あんまりアタックのタイミングとか考えたことがなかったけど、おかげで、僕は上のレベルでレースを考えることができるようになった。
最近はそんなにマメに連絡はできてないね。彼も7週間家を空けたりするわけだから。
僕も何通かSMSを送ったりしてすごいじゃーんとか言ってたりとかはしてるけど…。
実際彼にちゃんとあったのは去年なんだよね。今年は、シルバーストーンに会いに行かないと、もう会えないかもしれないね」

18歳にてすでにドライバーコーチしながらですか…。
すーげー。
でもそういうものなのかなあ。どうなんだろ?