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ティーマンの事故から10年 その3

さて、ティーマンのインタビュー記事の第3弾です。

マルセル・ティーマン「今に至るまで、ランチェロッティから詫びは来ていない」
マルセル・ティーマンは新しい人生を歩み始めたが、心の中に棘は残っている。現在に至るまで、ティーマンのキャリアを終わらせる事故の原因となったドライバーは、彼に連絡をしてきていないのだ。

マルセル・ティーマンは彼の運命を受け入れ、新しい人生を楽しんではいる。しかしアンジェロ・ランチェロッティとの事故のことになると、雰囲気は一変する。ティーマンは、ランチェロッティから一度も連絡が来ていないのだ。

2010年の夏、ランチェロッティは何千ユーロもの罰金を科せられ、FIAのライセンスも6か月間停止させられた。ティーマンは、Motorsport-Total.comのインタビューでは、こう語っている。
「彼がやったことは明確におかしい行動です。あのようなドライバーがライセンスを所持していたことはモータースポーツにとっての恥です。FIAやイタリアのモータースポーツ連盟がもっと厳罰を下すかと期待していました。おかしいと思う行動をとるドライバーに対して、レース用のライセンスの取得が許されてしまうなんて残念でなりません」

ティーマンが4週間の昏睡と5週間のリハビリから戻って来ても、ティーマンは苦い思いをしていました。「初めは、彼に対して民事訴訟を起こそうかと思っていましたが、訴訟を起こす期限に間に合わなかったんです」
そして、彼は将来を前向きにとらえるということを思い出した。
「そんなことしたって何の助けにもならないよ、と自分に言い聞かせました。前みたいに目が見えるようになるわけでもない。自分の情熱だったモータースポーツの世界に戻れるわけじゃない。最終的にそういう結論を出しました」

そしてティーマンは、この話題についてこう締めくくった。
「自分にとって、彼はもう長い間、自分の中には存在していないのと同じ存在です。自分は今の体で生きていかなければいけないし、彼も、自分がやったことを抱えて生きていかなければいけない」
ランチェロッティもあの事故の後からモータースポーツ界から姿を消した。彼はライセンスを剥奪された後、再びサーキットに現れていない。

マンタイ、フェニックスとのコンタクト
ティーマンは、現在でもフェニックス・レーシングのエルンスト・モザーと現在は引退したオラフ・マンタイとは連絡を取っているという。マンタイにとては、ティーマンは息子のようなものだったが、今はその「義理の息子」は独り立ちをしている。

「彼は今は引退しましたけど、マンタイレーシングは大きな成功を収めましたよね。とても良かったと思っています。あのチームは彼の人生です。彼の仕事ぶりは成功に値したと思っています。またマンタイもフェニックスも、パフォーマンスだけでなく、その先のことまで考えるということが特徴だと思います。彼らは、チームスタッフのことも考えてくれます。多分、それが自分には合っていたと思います。また、だからこそ彼らはレースでも結果を残してきているのだと思います。
今でもマンタイとフェニックスとは連絡を取っていますが、今はマヨルカに住んでいるので、モナコに住んでいた時のように他のドライバーたちとどこにいっても顔を合わせるようなことはないですね。だから、一部の、本当に仲が良かった人たちを覗いては、モータースポーツ界とは連絡を取らなくなってしまいました」


これを読んだあと、「よし次にロマン・デュマに会ったら一緒にセルフィー撮ろう!」と思ったんですよね。そんでティーマンに見せるの…。今年は鈴鹿10時間が無くなっちゃったし、ニュル24時間に行けるかもわからないから今年はどうなるかわからないですけど。
来年度からはフェニックスレーシングがアジアンルマンに参戦するっぽい話があったので、エルンスト・モザーとセルフィー撮るのも目標にしたいと思います。
今年はモタスポ追っかけ的にはいろいろ消化不良の年にはなりそうですけど、ま、来年以降はまたそれなりに何かできるかなと思ってね。前向きに行きたいと思います。