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手作りの思い出

はてなブログ今週のお題「手づくり」ということで、またつらつらと書いてみようと思います。

手づくり、まあいわゆるハンクラ系など、私のまわりには得意だったり上手だったりという人がたくさんいます。まず私の実家の家族(笑)。
うちはなんかやたらと器用というか、なんかこう手作りとかもの作り系で「ようやるわ」っていう人が多い、というかうちの両親と姉がそうなんですよね。
母は縫物(和裁・洋裁)と編み物、姉は今は編み物もやるけど洋裁。姉はデパートのオーダーメイドの人で、母は街のテーラーの兄のところでバイトもしていたみたいな人でした。
ちなみに父も、編み物とかやらせれば私より上手かったんだよね…。今でもボタン付けとかは自分でやってる(母ができなくなってから始めたけどまあまあ上手よ)。

私は…まあ周りがみんなできるから、私もやるもんだと思ってそれなりにやってます。上手ではないしまめではないからやるときとやらないときの差が激しいけど。
(あとミシンを出すのがめんどくさいとか言って手縫いでできることしかやらなくなった)
自分としてはこの冬の電気代上昇のため「部屋で使うから実用性に特化して、見栄えはどうでもいい」って感じの「着る毛布」的なストールとかスヌードとか作っています。部屋にいればやっすいアクリルの毛糸でも全然温かいからね…。
(そもそも編んでいる最中からしてあったかい)
あと、私はなんかこう達成感が欲しくなるとペンケースになるようなポーチを作って(は壊して)います。実使用をするおかんアートをつくるタイプです。

昔、うちにあるミシンは母用の工業用ミシン(これで私は指を縫った…)しかなかったのですが、そのうち家庭用の電動ミシンも買いました。それで母は姉やら私やらにいろいろ服を作ってくれていたんですよね。私は子供のころからスカート嫌いだったから、学校から帰ったら母が作ったキュロットが待っていたこととかも何回かありましたね…。
(シャツとか長ズボンはさすがに面倒だから買って来てた)
私がスカートはく子だったら多分スカートは全部母が作ってくれるレベルだったのでは…と思います。姉がはいてたスカートとか何着か残ってました。私ははかなかったけど。

母にはずっとなんだかんだいって色んなものを編んでもらったり、作ってもらっていました。
編み物で大作だったのはスラブ糸ですごい縄編みのセーターとか、アラン模様のセーターとかですね。
アラン模様のは「もう二度と編まない」って言ってた(笑)
どっちも大事に着ていたのですが、まあいつの間にかダメにしちゃったんだよなあ。うちは虫もネズミも多いので…。
あとすごい厚手のスヌードも作ってもらった。ベージュのスヌードで、今でもたまに使ってます。これが母に最後に作ってもらった大作なんですよね。
これは「自分で編む」って言ったけど「お前じゃ編めなかんべ(方言)」って言われて「じゃあお母さん編んでよ」って言って毛糸買ってきて編んでもらったんだよね。
母は左利きなので、右利きの私(や姉)に編み物を教えるのは「できない」って言ってあんまり教えてもらってないです。基本とかは教わってるんだけど、「出来る人の動きを見て真似する」のがすごいやりづらいから、姉も私も結局今になってYouTube見て色々やってる(笑)。
いろんなバッグも作ってもらってた。変に派手なやつとか、あずま袋(改)とか、トートバッグは何枚も作ってもらってましたね…また頑丈だったんだわ、あれ。

縫物、母と姉は専門学校でちゃんと習っていの方はるけど私はほぼ自力(家庭科)です。ただ「うちの人がやっているから自分もやる」だけ。
私は実家にいたころは全然やらなかったですね。家庭科の宿題分しかやってない。
自分で何か作ろうと思うと母が横から口と手を出して来るから喧嘩になるんですよ。
(姉はこっちから聞かない限り口も手も出さない)
例えば私がチュニックの型紙を買ってきて、それに書いてある通りの手順でやっていると、母に「そこはそうじゃねえ(方言)」って怒られるんですよね。
「でも型紙にはこうやれって書いてあるんだよ!」って、もういちいち大喧嘩ですよ。で、母のやり方通りにやらないと母がほんとに機嫌が悪くなって、しょうがないから母の言うとおりにやると私じゃわからなくなって、結局母が手を出してきて、さらに私ではわからなくなるので両脇の直線縫い以外は母に任せる羽目になる、みたいな感じでしたね…。
(そして出来上がりも型紙の写真にあるのとはほんのり違った出来になるからこんなはずじゃなかった感がしてまた喧嘩になるわけよ…)

姉にもちょいちょい何かを作ってもらってました。姉の専門学校の授業で作った子供用のワンピースとかあれ今でも可愛かったのを覚えてます。えんじ色に白いレースの襟!
今じゃ絶対着ない色ですね。まあ似合わなくはない色だとは思いますが…。
高校の卒業式で着たスーツも作ってもらったなあ。その他にも友達の結婚式に出るのにキャサリン・ハムネットのツーピースの写真を姉に見せて、作ってもらったこともありました…。(もちろん姉判断で簡略化したりしてますが)
布を切って縫ってはわかるんだけど、型紙起こすのとかすげーなと思いました。姉は「習ったからできるんだよ」っていうけど、私は習っても出来る気がしません(笑)

父は入院中にヒマだったからと5円玉兜みたいなの作るタイプの人です。あとなんていうのかな、電気も電話もガスも水道もついている小屋を、平行取るのは道具借りて義兄(姉の旦那さん)に手伝ってもらったけど、それ以外は自分で作ってましたね。なんかいろんなものを作っている。電気・電話工事会社勤務の人だったんだけど、左官とかの経験もあるらしい。

まあ戦前・戦中(しかも農家)でしかも割と器用な人の子供だったから、なんか自分もやればできるっていうか、自分もやるものだ(もしくはやるべきだ)みたいな思いこみが自分にはあるような気もうっすらしています。特に器用そうな話を聞いたことのない祖母も編み物で座布団カバーとか編んでたし、祖父は盆棚の紙細工とか上手だった。
私は決して器用じゃないけどね…。
アクセサリーとかを自分で作るのにハマっていた時期もありましたが、私はワイヤーを曲げるのが不得意で(もうこのあたりで「不器用」って感じでしょ)、作っていて楽しめるものと自分が使いたいものってもう全然別なので、アクセサリー系は作るの止めましたね。
アクセサリー類は、壊れたりした時に直したりリメイクとかしたくなると、アクセサリーとか作ってイベントで販売している友人にお願いしてます。いつもお世話になってます…。
そしてまたお世話になる予定。よろしくお願いします。