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今週のAutosport: 1/12/2005号

届きましたAutosport。バーンズがバーンと表紙です。

スバルの青いスーツ着て、ユニオンジャックを背中に広げてにっこにこです。

 

 

この写真を見て、動揺していた私は

「バーンズがね、GeriみたいなカッコしてAutosportの表紙になってる」と言ってしまいました。

それを聞いていた板貫さんは、こんなのを想像してしまったようです。

 

 

ごめんなさい。

 

そして巻頭のバーンズトリビュート。

コリンちゃんとバーンズの写真を見て、

「コリンちゃんとバーンズが、tatuみたいなの」

 

 

ごめんなさい。

私はどうしてもダメな発言をしてしまう…。

 

そんなことを書いてますが、バーンズのコドライバーのロバート・レイドの追悼文を読むと、切なくなってきました。

 

僕は、この15年のリチャードを知っている。この年月、彼と一緒にやっていけたことはとっても名誉なことだった。
彼は僕にとっていつでもひらめきを与えてくれる人だった。これからもずっとそうだ。

彼の隣でラリーカーに乗っていられた13年、これこそ僕の人生だった。
一緒にたくさんのラリーに勝ち、ワールドチャンピオンにもなった。
この2年、彼は病と闘っていた間、彼は力は衰えてしまっていたけれど、忍耐強さ、克己心、誇り高さはその間もまるで変わらなかった。
リチャードは、ラリーでのキャリアでもいろいろな困難と闘ってきた。でも、彼にやってきた病魔はそれまでの困難は些細なものといってもいいほどだった。

彼は、病気に負けなかった。この2年間の彼は、ソファに座ってラリーの放送を見ながら
「見たか?あいつ、あのコーナーであんなにスライドしてた」とか、
「なんであいつはあそこでブレーキングするんだ?僕はあのコーナーじゃブレーキなんか踏まなかった」
なんて言っていた。

彼は、本当に完璧主義者だった。彼のことを、いつも車に不平を言っていた、って思っている人もいるかもしれないが、それは違う。不平を述べていたわけじゃない。彼はそういうスタイルの人間だった。
彼は自分がドライブするときはいつも全力を尽くして走っていた。だから、それを他のみんなにも求めていた。
例えばバンパーが不調だったら、彼はその理由を知りたがった。彼は、その不調の解決策が見つかるまで、エンジニアと話し合った。

リチャードは、エンジニアと話し合って自分もマシンを見る、というようなスタイルのドライバーの先駆者だ。コリン・マクレートミ・マキネンとは違うアプローチをしてきた。
リチャードは、他の誰よりもまっすぐにドライブした。まるでレーシングドライバーのようにね。例えばセバスチャン・ローブもそうだ。彼はリチャードが始めたことに続いてきたドライバーだ。

リチャードにとってはチャンピオンシップはとても大事なものだった。彼がほしかったのはそれなんだから。
いくらラリーに優勝しようとも、ステージでトップに立とうとも、それはあくまでチャンピオンシップで一番上に立つための副産物でしかなかった。

ラリーは、リチャードの人生だった。2003年にマーク・ラヴェルとリチャード・フリーマンが事故死をしたすぐ後、彼はマックス・モズレーに電話をして、ラリーの安全性についての話し合いを持った。
彼は、ラリーの危険性について心配をしていたから、解決策を考えたかったんだ。
誰もドライバー自身がそんなことをするなんて思わないかもしれないけど、リチャード・バーンズはしたんだよ。

彼が病気になって、彼が僕に聞いてきたことの中に、モズレーとの話し合いを続けてくれるか、ということがあった。そして9月にビーフが事故死したとき、リチャードはどうしてそれが起こったのか、マシンの安全性を高めているところだというのに、なにが起こっているんだろうと聞いてきた。
ラリーは、彼の中ではとても、とても大事なものだった。

安全性だけではなく、リチャードは若い世代についてもいろいろ知りたがっていた。彼は、僕が若いラリーストのために始めようとしているMSA Rally Eliteについて聞いてきた。彼は、誰がリチャードの位置にくるようなドライバーになるか知りたかったんだろう。
僕は、たくさんの若いいいドライバー達がリチャードの本を読んで、吸収することは多いと思っている。
彼の努力と、ラリーへの献身を見て、若いドライバーたちには刺激になるだろう。

そして、僕自身もリチャードから刺激を受けていた。ラリーカーの中での彼は、特別というより他にない。人生に対する姿勢というものにも影響がでるくらいだった。病気になった後は、リチャードは本当に辛い時期をなんども乗り越えた。誰も知らないかもしれないけれど、僕彼が何かグチっていたのを僕は一度も聞いたことがない。信じられないことだけれど。

リチャードがいないなんて、僕は迷子になったみたいだ。何年にもわたって、僕たちはずっと一緒だった。彼がもういないなんて、とても奇妙に感じる。彼がいなくなったショックを、僕は乗り越えることができるか、わからない。そして、この心の痛みと空白が、リチャードは本当にいいやつだったということを思い出させるんだ。

R.I.P.

さて。

イギリスF3に出てたティム・ブリッジマンは来年のChamp Car Atlantic参戦めざしてテストしたそうです。
あと、ツーリングカーへの転向も考えているとのこと。

メガーヌトロフィーに出てたJan Heylenはチャンプカー参戦目指してConquestのテスト。

ブルーノ・セナ、もう一年double RでイギリスF3参戦。相方はスティーブ・ジェリー。
ここのチームはメルセデスエンジンになるとのことで、ペンブリーでテスト始めたって。
……ダン・クラークはどこにいっちゃうんでしょうね……

イギリスF3のアラン・ドッキングはオランダ人のDennis Ratera他、Aaron Steeleをテストしたそうです。
とりあえず来年のドライバーは、Karl ReindlerとJohathan Kennardじゃないか?だって。

BTCCでTeam Dynamicsはジュニアチームを作るかも。シニアチームの方にはマット・ニールとダン・イーヴスでで、ジュニアチームの方にガレス・ハウウェルとルーク・ハインズじゃないか?とのこと。
まあジュニアチームの話も、ルーク・ハインズ加入もまだウワサ。

やべ、マークは来年LNTにいなさそうだ。
Bob BellがLNTのパノスをテストしてるそうです。
んで、リチャード・ディーンとテクニカルディレクターのアラン・マッグルストーンは昔彼を走らせたことがあったとのことで、好印象なんだって。
あ~あ………。私の来年の行脚はどうなるのかね(--;

FIA GTのGT3クラスに、日産がZを出す準備してるって。

チャンピオン特集が載ってて、各シリーズのチャンピオンを写真入りで紹介。
あと、次にきそうなイギリス人特集でリッチーも一応載ってます。
推薦者はガリー・アンダーソンさん。いつの間にかNISMOにいるんですけどこの人。
アンダーソン的には1年GP2やってF1に行け、なんだけども、そんな金がどこにある…。
そんでリッチーの来年予想としてChamp Car、ル・マン、V8 Supercars…とか書いてあります。
誰も何も当てにしてないのが見え見えです(爆)
まあでもこういうのにカウントしてもらえるんだからよかったよね、リッチー。