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お墓参り

お盆なので、思い出したことをつらつらと。

10年前、私はオーストリアにドイツ語学習を目的に長期滞在しましたが、そのときに、なぜか私はいろんな人のお墓参りに行ってきました。
なんでそんな墓参りツアーをしたのかはよくわかりません。
が、多分、その年の7月に、クロスノフが事故死したからなんだと思うんだよね。
会ったことないけどファンだった人とか、そういう人たちのお墓参りをしてきました。
まあいわゆる芸術家まわりとか(モーツァルト、ベートーベン、サリエリのところも行った)、ルドルフ・ニールリッヒ、あと、その後もまた行ったのがラッツェンのお墓。
96年、97年と、2回行ったよ(苦笑)。

行きたいと思う人がこれからいらっしゃるのかどうなのかはわかりませんが、一応書きますと、ザルツブルク郊外?のMaxglanていう教会にあります。
ザルツブルクの駅から2番のバスだっけ?ザルツブルクリンクに行くのと同じ番号だったよ。

で、私が行ったときは、友達に大体場所を聞いていたんだけど、見つけられず、お墓参りにきていたそこらのおばさんに、一緒に探してもらいました。
で、やっぱりそれなりに有名人なんだろうね。
おばさんは「ラッツェンバーガーのお墓ね~。こっちだったわよ」って、大体の方に連れて行ってくれて、すぐ発見。
東洋人がお花持って(当時は、教会の手前に花屋さんがあった)墓場をうろうろしてたら目立つので、大体みんなが助けてくれます(笑)。

そのお墓には、日本からステラの人が、御影石?にラッツェンのメットのミニチュアのメットをつけたのを持ってきて、おいていったんじゃないかな。日本でのキャリアがあったひとだからね。
そういうものがありました。
あと、ラッツェンの写真がプレートになってるのもあった。

普通に、家族のお墓に、ラッツェンは入ってました。

ご家族は、息子に先立たれて悲しかっただろうに、とか、今は思うけど、そのときはただ、ぼーっと立ってたんじゃないかな。
色々考えた事はあったんだろうけど、もう思い出せない。
お花置いて、またバスに乗って、市内へ戻っていきました。

お父さんとはレースをやっていたことについて仲が悪かったようですが、私は実はその話を知らなかったんです。
当時の別の知り合いにも(彼女はラッツェンのお墓に行ったり、お父さんに手紙を出したりもしたとか聞いたような気がする)特にそういうことは聞いた覚えもなかった。
残された家族(特にお父さんかなぁ)は辛かったんじゃないかなぁ。
これを読んだら切なくなってきた。

その後、個人的には99年に舘君・眞田の清ちゃんのことがあって、本当に悲しかった。
大してつながりがない、1ファンの私だって悲しいんだから、家族・友人はどうなんだと。
今後、ああいうことが起こらないように、と心から願っております。

「老けたよね~」とか「髪がやばくなったよ!」とか良く言ってるけど、老けていってくれるってことはそれだけ生き長らえてくれてるってことだもん。ありがたいことなんだよねぇ。
まあ、なるべくなら老けたりとか八ゲたりしないで年齢を重ねていってくれるに越したことはないんだけどさ!(笑)