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2000年のDTMが、現在のDTMへの「答え」となるか?

2000年のDTMメルセデスオペルアウディ(当時はプライベーターなんですけど)で3メーカー揃っていましたが、2005年いっぱいでオペルが撤退、その後しばらくメルセデスアウディの2メーカーでしたがBMWが2012年に参戦して、また久しぶりに3メーカーだねえ、良かったねえ…と思っていたら2018年一杯でなんとなんとメルセデスが撤退。アウディが撤退ならわかるけどまさかメルセデスとは…と思いましたよほんと。
そう思ったら2019年にアストンがやってきて(正直意味不明だった)、まあまた3メーカー揃ったねえ…と思ったらアストンは1年で撤退(ほんと意味不明だった)。
っていうかDTM大丈夫?と思っていたら、COVID-19のどさくさにまぎれて(?)、アウディが2020年一杯での撤退を発表。こりゃほんとにダメじゃんDTM!ってなりましたね!
クラス1規定があるとはいえ日本メーカーがDTMにフル参戦するとは全く思えないので、ほんとにDTMは2000年で終わっちゃうのかな…とちょっとびくびくしています。まあ知ったこっちゃないって言えばないんだけどさ。

そんな中、5月28日にちょうど2000年のDTMの開幕戦を迎えてから20年ということで、2000年当時にエントリーしていた人たちの「2000年のDTMにあって、今のDTMにないもの」的なインタビュー記事がAutosportに出てました。このコメントを出していたドライバーの中にピーターがいたので、久々にオートスポーツに課金して記事を読んできました。
主にコメントを出していたのはピーターとロイターさんでした。ロイターさんの箇所は後で無料記事に出ていたんだけど、ピーターのところは無料記事には出ませんでした。残念(笑)

ということで、その記事のピーター部分をざっくり訳したいと思います。
本当は記事が出てすぐに投稿したかったのですが、すごい忙しくてまとめて作業をする時間が取れなかったんです。残念。

2000年のDTMは、現在のDTMへの答えとなるか?
以前のハイテクなDTMへのアンチドートとして、シンプルなマシンで復活を遂げた2000年のDTM。現在のDTMはまた崩壊へ向かっているが、2000年のDTMから学ぶことは何かあるだろうか?
筆:James Newbold

DTMは、アウディが2000年一杯での撤退を発表し、残る参戦メーカーはBMWだけになってしまった。DTMの崩壊の流れは、2018年末のメルセデスの撤退、また今年1月のR-Motorsportのアストンマーティンの撤退からも見えていた。

コロナ禍の前ですら、ARTがBMWでロベルト・クビカとの契約を、WRTが3台エントリーを発表していたが、それでも16台しか集まっていなかった。これは、2000年にDTMが19台のエントリーで復活してからの最低台数となっている。

シリーズに対してコストの削減は、アウディの撤退前からかなり圧力がかかっている。HWAの代表のウルリッヒ・フリッツは現在のクラス1規定はプライベーターにとってはコストが高すぎると、パートナーだったR-Motorsportの撤退の時にも触れられている。R-Motorsportは年間2000万ユーロ(=24億円強)のコストをかけてもシーズンのベストフィニッシュが6位だったと言われている。

アウディの撤退については、2007年のバルセロナのレースの時点で予想されていた。タイトル争いをしていたマルティン・トムチックとマティアス・エクストロムがメルセデスのドライバー2台と絡んでレースからリタイアすることになったとき、アウディはまだ走っていた残り7台を、レースの残り9周の段階で全員撤退させた。この時にはアウディは翌年からのDTMの参戦が危ぶまれるほどの状態だった。

その後の数か月の緊迫した期間を乗り越え、2012年にBMWも参戦した時には再度の盛り上がりを見せた。しかし、DTMは2000年にメルセデスオペルプライベーター参戦のアウディ――2019年のアストンマーティンのR-Motorsportのような立ち位置と言えなくもない――がITCの灰の中から蘇り、ホッケンハイムでの開幕戦には58000人の観客を集めた、その時のような楽観的な空気を保つことには苦労をし続けている。

2018年にITR代表のゲルハルト・ベルガーSuper GT代表の坂東正明がクラス1のレギュレーションに合意して以来、シリーズに対するファンからの期待は高まっている。しかしDTMとしてはアイデンティティの危機に立たされている。

2020年のDTMが手に入れられない「目的と明快さ」
ベルガーは電気自動車でのレースについて懐疑的な見方を示していたため、DTMが2000年以降使用してきた通常の4リットルV8エンジンから4気筒2リットルターボへと移行し、メーカーの環境保護への欲求を満たすために4気筒2リットルターボを採用していたとしても、ハイブリッドの未来はないと考えられていたようだ。しかし、昨年12月にベルガーが2022年からのシングルスペックのハイブリッドの可能性が高いと説明したことで、風向きは変わった。

2019年に投入された新型のエンジンは、DTMスーパーGTのレギュレーションの共通化に向けた第一歩で、追ってはDTMのマシンを日本で走らせる、またはスーパーGTの日産、ホンダ、トヨタDTMに参戦させるという計画の第一歩だった。

昨年の最終戦ホッケンハイムには日本車が3台エントリーし、心待ちにされていた富士でのエキシビションレースは、アストンマーティンが欠場したとはいえ、成功をおさめたと言えるだろう。

最終的にこの2シリーズのレギュレーションがどのような形で収束するかは、アウディの衝撃的な撤退のニュース以前にも未解決のままだった。日本では空力面、タイヤの開発競争があるが、DTMはニューランドのトランスミッション、APレーシングのブレーキとハンコックタイヤのワンメークだ。

また、スーパーGTはハイブリッドの導入への抵抗が続いているが、それ以外にもDTMで使用されているプッシュトゥパスやDRSのようなオーバーテイクシステムの導入も抵抗されている。スプリントレースと耐久レースで共通に使えるためのマシンを導入するための性能調整をすることは容易ではない。

しかし、富士の「ドリームレース」の後には、1990年代中盤に短命で終わったITCのような「盛りだくさん」なクラス1のマシンの導入が望まれるようになり、DTMは現在のロードマップを完全に放棄せざるを得なくなりそうだ。

BMWモータースポーツの代表のイェンス・マルカルトは、DTMが2メーカーでのレースになることは大きな問題ではないと述べた。そしてWECでのファクトリープログラムから撤退をしたことで、DTMへのコミットメントを示したが、アウディの撤退で状況は完全に変わってしまった。

2000年の段階では、そのような将来の不透明さというものはなかった代わりに、2020年仕様のようなDTMのマシンは買えないということは明らかだった。

1996年に、高コストに対してのリターンの悪さを理由に、1996年にアルファロメオオペルがITCから撤退した後――聞いたことがあるような話だ――2000年のDTMのレギュレーションは、参戦メーカーの懐が痛まないようにと言うことを主軸に作られた。

4輪駆動、複雑な電子制御やサスペンションを使用していたITCに対し、2000年のDTMのマシンは2.5リッターのV6エンジンを最大450馬力に制限された4リットルのV8エンジンにしてシーズンを通して使用するようにし、Xtracのサスペンションとダンロップタイヤを共通パーツとして採用。複雑な電子制御システムは禁止され、マシンの最低重量も1050kgに設定され、軽量化を計らなくていいようにされた。

2000年の開幕戦にペールソン・モータースポーツメルセデスCLKで参戦し、2レースともに5位でフィニッシュしたピーター・ダンブレックはは当時のことをこう思い出す。「ITCが、コストがかかりすぎたことによりシリーズが消滅してしまったので、DTMはコストを管理しようとしていました。自動車メーカーが負担できないほどのコストにはしないようにと。新しいマシンは、ITCの物よりずっとシンプルでした。トラクションコントロールもない。1999年のメルセデスCLRにはパドルシフトになっていましたが、DTMはシーケンシャルギアボックスでした。そしてすべてのマシンが同じギア比、同じトランスミッションで、違いはエンジン、ボディとセットアップだけでした」


2000年のDTMのマシン本体だけがITC時代のものより低価格だっただけでなく、2リットルエンジンのスーパーツーリングカーを走らせるよりも低コストだった。オペルのテクニカルディレクターを務めていたドナトゥス・ヴィッヘルハウスは8台のDTMの5台のスーパーツアラーを走らせる金額で、8台のDTMのマシンをレースさせることができることを明らかにした。当時、2001年に向けてボルボルノー、日産が撤退したBTCCも、DTMと同様の戦略をとるべきだという議論も交わされたいた。BTCCの有力なインディペンデントチームのTeam Dynamicsは一年落ちの日産のマシンを走らせていたが、DTMの実際を調査のためにレースを訪問したこともある。

新しいDTMのマシンがそれまでの物と比べて見劣りするのではないかと考えられていたことについても、心配は無用だった。2000年のDTMメルセデスをドライブしていた、元F1ドライバーのペドロ・ラミーはシーズン前に「とても運転しやすいが、限界を見極めるのが難しい」と語った。

ダンブレックも、ラミーの意見に同意した。「コーナーでスライドしたらそのまま止まらないんです。コーナーをスライドしていくに任せるだけ。ドライブしていて楽しいですが、一周を速く走るということについては難しかったですね」


以上になります。ロイターさんからの話部分がいいところなんですけど、めっちゃ長くて正直めんどくさい(笑)
しかしロイターさん、割と「何してるんだろう?」って思うくらいの時期もありましたが、なんだかんだ言っていろんなところで仕事をしてるんですよね。
昨年マカオGPの時に昔と変わらずしゅっとしている姿を見ましたが、またどこかでお見掛けする機会があればいいなあと思っています。

 


DTMでの現役時代、ロイターさんの写真撮るのとかめっちゃ大変でしたよ…。人が多すぎて、目線もらうのも大変だったんだから…。
DTMのGT500ドライバーとか、WECのトヨタとかみたいなもんよ)

しかしDTMが「新生DTM」ってなってから20年ですか。第一期っていうのは1984年から1995年だそうで、そっちより全然長く続いていたんですね。
F1みたいに1950年から続いてるとか、そういうのになんとなく慣れてしまっていますけれどもどんなシリーズも栄枯盛衰があるわけで、今のDTMもそういうことかなあと思います。
ただまあ、スプリントレースがどんどん減っていってしまうのも寂しいですからね。残るものなら残ってくれたらいいなあとは思っております。