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20 Years After その2

さて20周年記念!ということでまたDrivetribeに記事が掲載されました。
こちらも、ル・マンが始まる前にサクサク行きますよ!

ピーター・ダンブレックが20年前のル・マン24時間の“あの”事故を振り返る
Michael Haffenden

ピーター・ダンブレックはジュニアフォーミュラで最多勝記録を残したのち、現在彼が活躍している耐久レースに至るまで、モータースポーツにおいて数多くのカテゴリーで成功を収めているにもかかわらず、メルセデスがスポーツカーでの活動を終わりにすることになり、ル・マン24時間でのマシンのレギュレーションさえ変えることになったクラッシュを起こしたドライバー、と記憶されている。

ダンブレックはフォーミュラヴォクソールでレースキャリアをスタートし、1997年にはイギリスF3でシリーズ3位を記録。その翌年は全日本F3で10戦中8勝を記録しチャンピオンを獲得、その年のマカオグランプリでも優勝を収めた。1999年にはダンブレックはメルセデスのスポーツカープログラムのドライバーとなり、キャリアの転換点を迎えた。

2019年のル・マン24時間の前にダンブレックから話を聞いた。
当時の彼は、1999年が初めてのル・マン24時間で、モータースポーツの頂点とみなされているF1でレースをすること以外の目標は頭になかったという。


「あの頃は、ル・マン24時間についての知識は全くなかったと言ってもいいと思います。まだシングルシーターでのキャリアに集中していた時代で、ル・マンに参戦することになっても『ああ、そういうレースもあるんだな』くらいにしか思っていなかった。頭の中にはF1のことしかなかったんです。
その頃とはモータースポーツの流れは変わって、今の若いドライバーは必ずしもF1を目指してレースをしなくてもいい時代になっていると思います。20年前、自分の時代は90パーセントから95パーセントのドライバーがF1を目指していたと思いますが、コストがかかり過ぎる現状もあるので、今だと半数程度が目指しているくらいではないでしょうか。今はツーリングカーやGT、プロトタイプのレースもたくさんありますし、そういうレースに参戦して世界を転戦することもできる」

ル・マンがどのようなレースかもよく理解していなかったダンブレックが初めて参戦した時、イベントの規模に「圧倒された」という。

「あの頃はル・マン24時間についてよくわかっていませんでしたし、あんなに大きい規模のレースに参加したことがなかったので圧倒されました。今から同じ様に参戦をするとしたら、もう他にもいろいろな経験を積んできているのでそこまでの衝撃は受けないでしょうけど。まあでもそんな雰囲気にもすぐ慣れました」

1990年代後半のスポーツカーレースでは、マシンが文字通り空を飛ぶという事故が多発していた。ダンブレックのメルセデスでの同僚のマーク・ウェバーも1999年のル・マン24時間のレースが始まる前、木曜日の予選中に1回、土曜朝のウォームアップ走行でも1回飛んでいる。これらの事故でメルセデスチームの懸念は広がっていただろうことは想像に難くない。
実際、ウェバーのような事故の再発を防ぐために、メルセデスのエンジニアは前の車にあまり近づきすぎないようにという指示を出していた。
その後レース中の夕暮れ、ダンブレックがライバルのトヨタGT-Oneに追いついてきたとき、彼の脳裏にはメルセデスからの「近づきすぎるな」という曖昧な指示のことが浮かんできたという。

「あと5周くらいで前のトヨタ、ティエリー・ブーツェンに追いつくなと思っていたのは覚えています。また、あの時は自分のペースがとても良かった。3位を走行中で、トヨタに追いつこうとしていたところでした。その時にメルセデスのエンジニアが『前がどんなマシンであろうとも、近づきすぎると飛んでしまうから気を付けろ』って言っていたことを思い出しました。けれども『近づきすぎるなって言われてもどのくらい?どうやって近すぎるかどうかを判断するわけ?近づかなかったら抜けない場合はどうしたらいい?近づきすぎずに走っていれば本当に問題はないのか?』と考えていました。でも気が付いたらもう空が見えて、飛んでいて――あれでは近づきすぎたっていうことなんでしょうね!」

ダンブレックが飛んだ時には、2回ともコース内に落ちたウェバーとは違い、コース外の木立に落ちたように思われ、今回こそは死亡事故になってしまっただろうと誰しもが思っていた。

当時のサーキットでの医療のレベルは今からでは考えられないほど低いものだったが、現在はかなりの向上をしているとダンブレックは語る。

「現在のモータースポーツ全体の流れとして安全面の向上も図られていますし、事故の後の検査もしっかり行われるようになりました。自分のクラッシュの後、頭部のスキャンもCATスキャン(コンピュータX線体軸断層撮影)も何も行われなかったんです。『大丈夫ですか?』って聞かれて、『うーん』って答えたくらいですね。当時はパンチドランク症状みたいなものが現れていた感じでしょうか?
事故後すぐは記憶があいまいでしたが、徐々に記憶が戻ってきました。しかし当時は覚えていたり、また忘れてしまったり…頭部外傷の典型的な症状が出ました。でもチームも、サーキットのメディカル担当も、私の脳も体もCTを撮れとも何も言わずに、そのまま家に帰しましたよ」

その後ダンブレックの生活が落ち着いてから、メルセデスでの同僚だったマーク・ウェバーのクラッシュ後のチームへの態度の違いについて考える機会があった。マーク・ウェバーは彼が土曜日の朝に2回目のクラッシュをした後にもかかわらずレースに出場することにしたメルセデスの判断にショックを受けていた。ダンブレックはクラッシュのことはあまり引きずらないようにしてメルセデスと契約を続けた一方で、ウェバーはチームから離脱。二人は違う道をキャリアパスを進むことになった。

「あの週末は笑ってしまうほどひどい週末でした。でも、そんなには事故のことも引きずりませんでした。そもそも自分は、そんなに感情的な方でもないですし。
個人的には、マークはあの週末の出来事に関してとても感情的になっていたと思います。彼は、彼のクラッシュの後にメルセデスがレースから撤退しなかったことが本当に許せなかった。しかし結果的には、メルセデスを離脱したことが彼のキャリアにはプラスになりましたね。
あの時点では、みんながメルセデスのせいで私が死んだと思っていたことでしょう。実際はそうではなかったけれど。マークはこの事故に遭ったおかげでGTやプロトタイプのレースから離れることになり、目標だったF1に乗り、そこで成功を収めることもできた。奇妙な話ではありますが、結果的には彼のためになるクラッシュだったと思います。
自分自身のキャリアにとってはプラスになったかはわからないですね。知名度的にはかなり上がったと思いますよ。もう20年も前のことですが、それなりの年齢以上の人なら大体みんなが知っている」

ウェバーがシングルシーターに集中していた間、ダンブレックはその後3年間、メルセデスからDTMに参戦し、優勝も記録した。この後に同じDTMメルセデスからオペルへ移籍、2003年にはニュルブルクリンク24時間に初参戦することになり、その後はファルケモータースポーツから長く参戦を続けることになったので、オペルへの移籍は彼のGTカーでのキャリアについて影響を及ぼしたと言える。

現在45歳のダンブレックは、ファルケモータースポーツで13年を過ごし、現在もファクトリードライバーとして活躍をしている。
ニュルブルクリンクスペシャリストとして知られるようになったダンブレックの次のレースは、今年のル・マン24時間の翌週に開催され、2015年には総合3位でフィニッシュしたニュルブルクリンク24時間に、ファルケモータースポーツから参戦する予定だ。

小規模なタイヤメーカー、そしてかませ犬的に思われているチームから参戦しているが、今シーズンのVLNの開幕戦とニュルブルクリンク24時間の予選レースでのファルケンの力強い走りの後で、ダンブレックの期待は高い。

「実際、毎年の目標は総合優勝です。この3年はチームも2台エントリーをして、その可能性を引き上げてきています。しかしファルケンは急成長を遂げつつあるとはいえ、小規模なタイヤメーカーです。私たちには大きな挑戦です。ミシュランのような大メーカーと同じ舞台で戦い、私たちより上の位置にいる彼らに挑むのです。大メーカーに勝とうと思ったら、どんな車に乗ればいいかとかはあまり問題ではないのです。なぜならBMWもポルシェもアウディメルセデスも、みんながミシュランタイヤを履いている。タイヤだけの問題でもなくなってくるわけです。私たちのようなチャレンジャー側からしてみたら、最終的には実際のタイヤのパフォーマンスというよりも、マシンに乗った時の個人のパフォーマンスに結果がかかるというわけです」

もし、1999年のダンブレックが空を飛んだアクシデントについて詳しく知りたいと思う方は下に紹介する、マイク・ファーニーによるビデオを見てみてください。




という記事でした!

数年前、諸事情により若い(現在20代半ば)子に「ピーター・ダンブレックって誰?」と言われたので「1999年のル・マンで空を飛んだメルセデスの、マーク・ウェバーじゃない方」という説明をしたら一発で通じました。若い子でもそういえば通じる子もいる(笑)
ただやっぱりもうちょっと明るい話題でピーターの説明をしたいので、ほんと、ニュル24時間で早いところ勝ってくれたらいいな~~~って思ってます!